2025年6月14日 (土)

2025 津沢夜高あんどん祭り終了

津沢夜高あんどん祭り、そして当店の無料休憩所の営業が無事に終了しました。 
聞くところ大きな事故や怪我人などは無かったようで、安堵しました。
祭りの期間中、素晴らしいお天気に恵まれ、
当店にも沢山の観光客や町の皆さんが見えられました。
もっと早くにアップしたかったのですが、
後片付けに予想外に時間を要し(疲労もあって)今になりました。
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 昨年同様、能登募金を実施。募金箱に11,888円も入っていました。
そして、長年無料で振る舞ってきた珈琲代を100円お願いしたところ、
10,700円入っていました。併せて22,588円‼️
それに我が家から少しばかりの気持ちを足して、
近日中に「輪島礒入組合海女クラブ」へ送りたいと思います。

初日、まきたみちよさんのピアノは相変わらず軽快で、
2日目のライブもそれはそれは大盛況でした。
中本美智子さんの優しいトークと唄声、福井直秀さんのノリノリのフルート‼️
今回はバスフルートも披露して下さり、
ピアノの村中千晶さんとの掛け合い?に引き込まれました。
つくづく「ジャズって音楽の会話なんだなぁ」と感じました。
ありがとうございました。
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そして!今回初めての物販に挑戦‼️
⭐︎生ビールおつまみ付500円
⭐︎豚汁 300円
⭐︎おにぎり(山菜、筍)各100円

思いの外大好評で、おにぎりは「100円?うわっ、安っ!」と
アッと言う間に売り切れてしまいました。
後で何人もの方から「100円は安過ぎ!
今はコンビニでも200円近い品もあるよ」と言われました。
・・・・私、コンビニでおにぎり買う事が殆ど無いのですよ。( ´Д`)y━・~~
しかも大きめに握っておりまして・・・・
(加えてお米は農家を営んでいる友人から購入している一等米!)
「あ〜あ、200円にしとけば良かった」と後の祭り。(笑)
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まあ、良いのです。元より物販で収益上げようと思って始めた訳では無く、
魚政亭ワールドの中で寛いで頂ければと思っていたので・・・・
反省点、改善点も見つかったし、初めてにしては大成功です💕
今回は娘のみならず、長男のお嫁さんも魚政亭の法被を着て
一生懸命手伝ってくれました。
皆、それぞれに疲れたようですが、家族一丸となって頑張りました。
その様子を眺めながら「なんて幸せなんだろう」と、とても嬉しかったです。
祭りの喧騒とは打って変わって、町は静かな平常に戻りました。
いつまで同じ事が出来るか分かりませんが、
たとえ規模を縮小しても、動ける間は「無料休憩所」営業を頑張りたいと思っています。
ご利用頂いた皆さま、町内の皆さま、支えてくれた家族に心から感謝します。
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2025年5月16日 (金)

万葉の里高岡 二上山トレイルラン観戦

珍しく予約の無い日曜日。
娘に誘われて「万葉の里高岡 二上山トレイルラン」
(FUTAGAMIYAMA TRAILRUN 2025) を見に行って来ました。
娘の知人が出場するとの事。
しかし、、、ノコノコついて行った理由はもう一つ。
なんと!今大会の招待選手は、※TJAR(トランスジャパンアルプスレース)
奇跡の四連覇のレジェンド望月将悟さんと、
2022年2024年の覇者、土井陵(どいたかし)さん。
一目姿を拝見したいと、ミーハー丸出しで出掛けました。
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スタートは時折雨が降る肌寒いお天気でしたが、次第に青空が広がり、
ランナーの皆さんが笑顔で疾走する姿に元気をもらいました。
レジェンドのお二人の走りを遠くから見られるだけでラッキーと思っていましたが、
タイミングよくロードにおられたご本人と遭遇❗️
少しお話をさせて頂き(望月さんとはしっかり握手!)
気さくに記念写真も撮らせて頂きました‼️感激‼️
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レースを終えた土井さんに
「是非、富山の美味しいもの食べて帰って下さいね。ホタルイカとか、、」と話すと
「おっ、いいですね〜!」と笑顔で返して下さいました。
ありがとうございました。
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これからも多くのランナーの皆さんの目標であり続けて頂きたいです。
スタートの興奮、応援の賑やかさ、ゴールの拍手と歓声、笑顔。
見知らぬ皆さんと一つになって手を叩いて声をあげて、、、
とても楽しかったです。若いっていいなぁ。
私もかつては陸上部で汗を流しました。
魔法の様に40年ほど前に若返る事が出来ればトライしたいですね〜。
されど、私はゆるゆる八乙女山登山で十分です。
※TJAR
富山湾から日本アルプスを縦走して駿河湾に至る415キロの過酷な山岳レース。

 

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2025年5月 9日 (金)

亡き父 叙勲を賜る

生前は郵便局に勤務していた父。
父が逝去してすぐに市内の郵便局を介して、金沢中央郵便局(日本郵政)から
「お父さんが叙勲の候補に上がっています」と、連絡がありました。
「選考があるので授与されるかどうか分かりませんが、
まずは申請する必要があります」との事。

葬儀の後でバタバタしている最中でしたが、姉と相談し
「万一もあるかもしれないし、、、とりあえず申請だけしよう」と
軽い気持ちで手続きしました。

その後、母の逝去も続き、叙勲の事などすっかり忘れていたある日、
郵便局から「林幸夫さん、叙勲の授与が決まりました!」と一報。
気付けば父が逝って3ヶ月目の月命日でした。(なんて奇遇!)
そして昨日、姉が父に代わり受取りに行って来ました。
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局長さんからしっかり梱包されたままの賞状と、
メダルとおぼしき包みを手渡されたそうです。
姉は父の代理ゆえ、TVで見るように賞状を広げて手渡されると思っていた様で、、、、
「あれ?」と思ったそうですが、、、
局長さんは「私などが触れるのも恐れ多い」と話され、
大そう恭しく梱包された品を手渡して下さったそうです。
速攻、姉から「凄いよー‼️」と携帯から飛び出してくるような声で
電話が掛かってきました。見に行ったら、、、
戴いた賞状の大きい事‼️(特注の額じゃ無いと入らないそうです)
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賞状の冒頭「日本国天皇は、、」って書いてある‼️
そしてメダルの美しい事‼️
母の訃報を知った知人から、大きなアレンジメントフラワーが
2つも届いたタイミングだったそうです。これもジジマジック? 
授与の理由は詳しくは分かりませんが、、、
父は生前に機械の改良案が採用され郵政大臣表彰を授与。
また器用さを生かし、古くからの郵便ポストのミニチュア版を作り逓信博物館?へ寄贈。
そんな事も加味されているのかもしれません。
両親が生きていたら、、、きっと父は
「大した事ないちゃ、ハッハッハッ」と謙遜して笑い、
母は「ジジってすごぉーい‼️」と大はしゃぎしたでしょう。
見えるようです。(笑)
最も功績の半分は母の尽力でしょうからね。良い記念になりました。
時間の経過と共に姉も私も、
寂しさよりも楽しい思い出話をする時間が増えてきました。
本当におしどり夫婦で、明るく楽しい夫婦でした。
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「お父さん、お母さん、おめでとう💕
遺骨に手を合わせ、オリンピックやり投げで金メダル取った北口遥さんが、
メダリストだけが許される鐘を連打した様に、
おりんを思いっきり連打で鳴らしてきた私でした。(笑)

 

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2025年4月27日 (日)

母、父のもとへ・・・

備忘録(長文です)
4月15日未明に母が逝きました。(満90歳)
父が逝ってから、まだ三ケ月も経っていないのに・・・。
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約5年程前から、老化による体調不良から徐々に運動機能が低下。
3年前からほぼ寝たきりになりました。
次第に意思疎通も出来なくなりましたが、
時々問いかけに反応したので判る時もあったと思います。
母の家系は心臓が弱く(多分遺伝性心臓病。母の姉は30半ばで心臓発作で早逝)
母は心臓は勿論、生まれつき背骨が湾曲しており耳は片方聞こえませんでした。
それでも負けず嫌いの気質、持ち前の明るさから何事も一生懸命にこなし、
几帳面な性格で片付けや掃除が上手。家計簿を毎日欠かさずつけていました。
  
共に大勢の兄弟姉妹の家に生まれ、親から援助など一切受けられない中、
共働きで家を建て、姉と私を育ててくれました。
何処にそんな時間があったのか?編み物が得意で、
沢山ベストや手提げを編んでくれました。
学校の先生から「まあ、素敵💓お母さんの手作り?」と言われ
嬉しかったのを覚えています。
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若い頃は「村1番の美人」と言われたそうです。(自称)
NTTの前身となる電電公社で電話交換手として勤務。
市内全ての電話番号を記憶する事を要求されたそうで、
(その時の鍛錬の賜物か?)母の記憶力は目を見張るものがありました。
直近の事を覚えているのは当たり前。
「○年前の○月○日に○○さんと何処そこへ旅行へ行った」など
平気でサラリと話し、いつも皆んなを驚かせました。
毎年忙しさからスッカリ忘れている私達の結婚記念日には、
必ずケーキを持ってお祝いに来てくれました。
長男誕生後は、忙しい私の代わりに母親代わりとして大活躍。
早朝長男を実家へ預けに行くと、母は決まって長男を背中におぶって
「煙を見に行くよ〜♫」と、裏手の山へ続く階段
(そこから市内が見渡せて煙突の煙が見える)を上がってゆき、
その隙に私は急いで帰宅するのが定番でした。
(私が帰る姿を見せると長男が泣くので)
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一方、母は私達が子供の頃から常に父親ファースト。
それは死ぬまで変わりませんでした。
常に「お父さん、お父さん」。
孫が生まれてからは「ジージー」と呼びながら、
いつも父のベルトや服の裾を掴んで歩いていました。
娘の目から見てもスーパースペシャル仲良し夫婦でした。
父は分家なのでお墓がありません。
今、姉夫婦はどうするか思案中です、、、、
そんな訳で父の遺骨はまだ実家にあります。
ゆえに現在、遺骨が仲良く2つ並ぶという稀に見る珍しい光景となっております。
今後二人は納骨も法事も(1周忌、3回忌、7回忌、、、)
永遠にずっと一緒です。なんてエコな夫婦でしょう。(笑)
しかし、、、、介護度マックス5の母と父を在宅で介護し
看取る現実は、並大抵な事ではありませんでした。
勿論私も出来る限りのサポートはしましたが、
多くは姉夫婦の献身的な介護のおかげです。 
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多くの人が病院や施設で最後を迎える中、本当に幸せな夫婦、
幸せな人生だったと思います。
母は苦しみから開放され、この世に何の未練も無く、
軽い身体になって浄土へと旅立ち、今頃は父との再会を喜んでいるでしょう。
私と姉はきっと母の方が早く逝くだろう・・・と予想していました。
しかし、母は頑張りました!
多分・・・・見た目とは裏腹に寂しがり屋だった父を心配し
「ジジを見送ってから」と頑張っていたのだと思います。
晴れ女の母は通夜葬儀共に良い天気でした。
そして、奇跡的に我が家に予約が入っていない2日間でした。
段取りの良い母の配慮のような気がしています。 
年明け早々から父〜母を相次いで見送り寂しさはありますが、
姉と「最後の厳しい子育てが終わったね」と、安堵しているのも事実です。
今後は両親を手本に夫を支え、悔いの無い人生を送れるように精進してゆきます。
追記①
(娘から聞いた事)
母を自宅から出棺する際、娘が父の遺骨をそっと撫でながら
「ジジ、お留守番お願いね」と声を掛けると・・・・
何処からかオルゴールが1音だけ「ポロン」と鳴ったそうです。
娘は目を丸くしてオルゴールを探しましたが、
何処にあるのか分からなかったそうです。
不思議です。でも・・・きっとイタズラ好きな父が返事をしてくれたのだと思います。
今も近くにいてくれるんだな・・・・。
悲しいはずなのに何だかほっこりした気分になりました。
追記②
FB投稿にあたり、両親の写真を探していたら
(PC、携帯は撮り溜めた写真でグチャグチャ)
そんな中から最高の1枚を見つけました。
母が父のベルトを掴んで歩いている。
そうそう、いつもこんな感じだったな・・・・。
ふと、何処へ行った時の写真かな?と調べてみたら・・・
うわぁ、まさかの白骨温泉‼️これも悪戯好きな父の仕業?(笑)

 

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2025年3月 4日 (火)

糠漬けはじめました

最近、以前から興味があった糠床を使った漬物作りを始めました。
糠漬けには腸内環境を整えてくれる酪酸菌が豊富に含まれており、
とても健康に良いそうです。
胡瓜、ウド、人参etc、、、漬け込んでおくと数時間で食べられます。
毎日欠かさず、素手で糠床をコネコネかき混ぜるのが日課です。
楽しいです💕 
手にはたくさんの乳酸菌が付いており、だんだん私のオリジナル糠床になるみたいです。


「そろそろいいかな?美味しくなった?」
糠床くん
「うん、良い塩梅だよ」

笑えますが、心の中で糠床や野菜に語りかけると答えてくれる様な気がします。

お客様に提供するのはもう少し先になりますが・・・
何か新しいメニューが出来ないか?思案中です!

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2025年2月14日 (金)

父、天へ召される

備忘録(長文です)

1月23日午前10時48分に実家の父が逝去しました。
昨日、初七日でした。

昨年末から徐々に起き上がる事が出来なくなり、
1月半ばを過ぎた辺りから痰が絡み水分も摂れなくなっていました。
連日点滴していましたが、口から栄養を摂れないので更にガタッと痩せて・・・
頻繁に水を欲しがり、その都度小さな氷をあげていました・・・・
しかし解けた水もむせて出していました。
日に日に目を閉じている時間が多くなりましたが、
声を掛けると笑顔やピースサインを見せてくれました。

亡くなる朝、普通に目を覚まし、声は出ないけど口は「おはよう」と動いたそうです。
10時過ぎから容態が急変し姉夫婦が見ている前で息を引き取りました。
私が駆けつけた時、まだ温かくて・・・ありがとうと言いながら身体中を撫でてきました。
それから夫2人、通夜〜葬儀の段取りでバタバタ時間が過ぎました。

看護師資格を持つ姉から「多分そう遠くない」と言われてから(夫には悪かったけれど)
予約をキャンセルして毎日午後には父の傍らにいました。
我が家の話をしたり、一緒に相撲を見たり・・・・
姉と私の会話をニコニコしながら聞いていました。
声が出づらくて会話は出来なかったけれど、筆談やジェスチャーで意思疎通出来ました。
帰り際、頬ずりして「また明日くるね。大好きやよ」と言うと
毎回優しく頭を撫でてくれました。亡くなる前夜もそうでした。

62歳まで娘でいさせてもらえて沢山甘えさせてもらいました。
姉も私もやれる事は精一杯やったし、父も精一杯生きた。
蝋燭が自然に燃え尽きるように静かに炎が消えた感じです。
私達は一点の後悔もありません。(多分父も)

父の死の直後、不思議な体験をしました。
障子越しに光が差し込みキラキラ輝いて見えたと思うと同時に、
子供の頃、父の胸に顔を埋めたような安堵感が心の中、
いや身体中いっぱいに溢れ、あたたかなオーラに包まれたのです・・・・
不思議でした。とても幸せでした。
多分、、、父からの最後の「愛」というギフトだと思いました。
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お寺さんの都合と友引のお陰で、通夜〜葬儀まで時間があり、
ゆっくりと過ごす事が叶いました。
冬の北陸には珍しく両日共春のようなお天気で・・・・
父は太陽の様な人だったのでそのせいかな?と勝手に解釈しています。

、、、とは言っても、まだ夢の中の出来事の様にも思えます。
食べたり笑ったり普通に出来るのですが、
時折不意に父の懐かしさがウワッと込み上げてきて泣きそうになります。
そんな時、娘が背中を撫でてくれます。

遺骨は49日まで私が預かる事になりました。
生前の父の意向で我が家の近所の住職にお経を依頼したので(徒歩1分)
我が家の御先祖様に
「しばらく父がお世話になります。宜しくお願い致します」と手を合わせました。
私の身体の中には父の遺伝子がある訳だし、これからは心の中の父と話そうと思います。

葬儀を終え帰宅する道中、太陽がロウソクのように柱状の光を放ちました。
サンピラーというのだそうです。
隣に乗っていた娘が「ジジ、無事に天国へ着いたよって言う合図だよ」と言いました。
きっとそうだと思いました。

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★追記
釈 幸浄
父の法名です。
法名は通常死後、※おかみそりののち、住職から授けて戴く仏になってからの名前ですが・・・
生前父から「自分が死んだら法名はコレにしたい」と言われていました。😅
亡くなった時、住職から「法名はもっておられますか?」と問われ、
とっさに「以前父から聞いたのがあります」と携帯にメモしたのを見せたら・・・・
住職「これ、もしかして自分で決められた?」
「・・・・💧」言葉に詰まる私💧
住職「大丈夫やよ。おかみそりをされたかどうかを知りたかっただけやから(笑)」
私・・・・汗、汗、汗💦

かくして法名も父の希望のものに決まりました。
写真の父に「全部ジジの望み通りにしたからね!」と話しています。
「ありがとな、わっはっは」の声が聞こえそう。

ちなみに遺影は3年前に姪っ子と夢の平へコスモスを見に行った時のものです。
携帯で撮った写真ですが、私の長男がブラッシュアップして彩度を上げ、
傾きを直し、肩にかかっていた姪っ子と背後の建物をAIの力で消してくれました。

家族全員で総力をあげた父の最後のセレモニーでした。
皆んな頑張りました。
きっと父も褒めてくれると思います。

最後に、、、
病院で終末を迎える人が多い中、
最後まで在宅で父を看取ってくれた姉夫婦を心から尊敬し感謝しています。

※おかみそり=出家し仏の道に入る故人に戒を授けると共に髪を剃る行事。

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2025年1月 6日 (月)

創業99年目を迎えました 


新年あけましておめでとうございます!

大晦日、仕事から帰宅した娘「なんか熱っぽい]・・・・
計ると39.5℃‼️うっひゃ〜!と、速攻自室へ隔離。
元日に救急外来を受診させるとビンゴ‼️(インフルエンザと判明)
しばらくすると今度は長男が「俺も熱っぽい」と言い出し
今度は月あかりへ隔離‼️(こんな時に部屋が沢山あるのは幸いします)
幸い夫と私、お嫁さんに症状は出ませんでした。
しかし、家族が揃っているのにシーンと静かな家はとても寂しい。
そんな中、今朝ベットから起きようとしたら突如腰がピリッ😭
あ〜〜年始から祟られているのか?(泣)

最も高齢の夫は至って元気で暇を持て余し、
旧館2階の古い襖を先日リサイクルショップで即決して買ってきた
市松模様の洒落た襖と入れ替え〜続いて台所の床の傷んだ箇所を修理し始めました。
本当に″貧乏暇なし″を地で行く人です。

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色々と不安な年明けではございますが「魚政亭」は創業99年目を迎えます。
来年はいよいよ100年‼️
最近は自分の身体と相談しながらのお仕事の取り方ですが、
より良いサービス提供の為にもペースを崩さず現状維持を貫こうと思います。

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本年が皆様にとって幸多き1年となりますよう心より祈念申し上げます。

 

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2024年10月29日 (火)

夫、小学校同級会

FBが手軽になってしまい、なかなかブログを書けないでいます。m(__)m

「女将さん、どうしたのかな?」と思われた方は

是非、FBをお読み下さい!

 

さて、先日、夫の小学校時代の同窓会が当店で開催されました。

今年は総勢21名が集まりました。

ワイワイがやがや・・・・お喋りは尽きず、

賑やかな笑い声が下まで聞こえてきました。

二次会は別館「月あかり」で、久しぶりに

まきたみちよさんによるピアノ演奏も加わり、

相変わらず素敵な演奏に皆さんがうっとりしたかと思えば

まきたさんの機転で突如カラオケが始まったり・・・・

「また来年ね」「元気でいようね」と口々に声を掛け合い、

賑やかなうちに終了しました。

本当に元気が一番!来年も変わらない皆さまにお会い出来ますよう。

 

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※皆さんの要望により写真をアップ致します。

印刷は各自でお願い致します。

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2024年6月 5日 (水)

「夜高とジャズと珈琲と」Part2 開催

今週末、6月7日(金)、8日(土)津沢夜高あんどん祭りです。
当店は例年通り、両日共に別館「月あかり」を無料休憩所に開放し
珈琲を振る舞います。
8日(土)にはジャズライブを開催致します‼️
「夜高とジャズと珈琲と」Part2
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①午後8時〜
②午後9時〜
③午後10時〜
1回各30分の3ステージです。
素敵な3人が織りなすハートフルなステージをお楽しみ下さい。💕
※能登地震の募金箱を設置致します。
出演
中本美智子(vocal)
福井直秀(flute)
木村郁絵(piano)

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2024年6月 4日 (火)

浜田真理子with Marino ライブ終了


浜田真理子with Marinoライブ、(能登地震支援ライブ)
大勢のお客様にご来場頂き、無事終了致しました。
今回は浜田さんからの意向でプロの撮影も入りました。夢の様です。
未だ夢から覚めやらぬ状態でで・・・・
魔法をかけられたように心地良い余韻の中におります。

ライトラップされた庭園、お二人の演奏に耳を傾ける観客。盛大な拍手!
今やCD、TV、iPadや携帯からBluetoothでスピーカーに飛ばしても
かなり良い音で音楽を愉しむ事は出来る・・・・・でも、
ライブの良さは何と言っても出演者と観客の一体感‼️

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ある時は静かに、ある時は声を出して、手拍子して、身体を揺らして・・・・
同じ空間に多種多様な価値観を持つ人々が集い、
演奏者からのダイレクトに響く音楽に身体を委ねる「特別なひと時」。

浜田真理子さんの歌声に出会ってから15年!
まさか、まさか、我が家で歌って頂ける事があろうとは!奇跡です‼️
私は人生の大半の幸運を使ってしまったかもしれない。(でも満足💕


見出し画像

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サックスのMarinoさんはレコードがお好きらしく、演奏前、
応接間で雑多に入れ込んだ箱の中から偶然テレサテンの
「つぐない」を手に取られたので「夫が大好きな曲です」と私が話すと・・・
なんと!ライブの中で真理子さんが「皆さん、一緒に歌いましょう」と、
まかさのサプライズ‼️
私が初めて真理子さんの曲を耳にした「しゃれこうべと大砲」も歌って下さり大感激‼️
夢うつつの内に終わりました。

お二人は我が家にお泊まり頂き、夜中まで気さくに色々なお話もさせて頂けました。
お昼近くまで滞在されMarinoさんは朝も起き掛けにレコード聴いてて・・・・
「近くなら毎日来たい‼️」と嬉しい事も言って下さいました。
若い方がレコードの良さを解ってくれて夫の喜びようと言ったら・・・・笑

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約5年ぶりの本格的なライブ。年とった分、準備は大変でしたが、
息子・娘も手伝ってくれて家族の結束の固さを実感出来ました。

ライブには更に嬉しいサプライズがありました。
浜田さんが知人のカメラマンに当店の事を「とても素敵な老舗だよ」と話されたところ・・・・
急きょ撮影が入る事になったのです!
わざわざ東京から機材を積んで来店され、カメラ6台をセットし撮影されました。
後で浜田さんからお聞きすると・・・・
NHK「情熱大陸」「美の壺」「車窓の窓から」を担当されている
凄いカメラマンさんとの事でした。
撮られた映像を私が目にする事があるのかどうか判りませんが、
(プロダクションの括りがある様です)
もしかしたらYouTube・にもアップさるかもしれないそうです。


・・・・・私は不思議と、時に雲の上のような方とご縁が繋がる事があります。
夫と出会ってから43年。
商売も含めてずっと波瀾万丈だけど・・・・
不平不満を言いながらも続けてきたら、時に神様は思わぬギフトをくれる。
「縁」を繋ぐ「ゆかり」と言う名前を付けてくれた両親のお陰かな?とも思う。

人生の時間は有限。
毎日を大切に生きてゆこう。



2人の画像のようです


浜田真理子さん、Marinoさん、素晴らしいひと時をありがとうございました。

能登地震義援金
173,000円
輪島磯入組合
海女クラブに寄付致します。
参加頂きました皆様、ありがとうございました。



浜田真理子さんが御自身のブログで当店の事を沢山書いて下さいました。
是非お読みください。

 

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