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2016年4月

2016年4月27日 (水)

三辺 淳さん 追悼②

屈託のない人柄にすぐに打ち解け、

私は店の色々な事を堰(せき)を切ったように話し、

彼は静かに、うなずきながら聞いてくれました。

 

そして

三辺 「良ければ暮れのTSTガイドに広告を載せてみませんか?」

   「エッ・・・いいお話だけど掲載料高いんでしょう」

三辺 「いや、ひと枠5千円ですよ」

  「ホント!それなら2枠、1万円分のスペースもらえないかなぁ?」

三辺 「わかりました!上司に聞いてみますね」

 

そして翌日

「魚政さん、2枠OKでーす!」と連絡をくれました。

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・・・・・・・彼の逝去の後、別の方から聞いたのですが、

当店が2枠のスペースをもらうにあたって上司にかなり反対され、

それを淳さんは懸命に説得して下さり、枠を確保してくれたというコトを知りました。

 

初めて雑誌に宣伝した効果は、予想を超える手ごたえでした。

以後、淳さんはさらに無料のコーナーの掲載等アレコレ勧めて下さり、

閑古鳥だった当店は少しずつ予約が入りはじめました。

 

来店された方は口々に

「こんなお店があったなんて知りませんでした。宣伝しておきますね」と、

言って下さいました。

 

以後、主人はさらに改装に力を入れ、淳さんは仕事の合間に

ちょくちょく訪ねて下さるようになり、

いつしか仕事の話のみならず、お互いの事、家族の事、

趣味の事まで、何でも話せる気の置けない友人となりました。

 

ちょうど車庫だった小屋を

別館「月あかり」に改装中の頃だったと思います。

「ちょっとの間にエライ変わってゆくね~、いや、旦那さんはスゴイわ!」と、

はにかんで笑っていましたっけ。

 

ある時・・・・・・、

「淳さん、お店のパンフレットを作ろうと思うんだけど、

私、写真がうまく撮れなくて」

そう話すと

「じゃ、僕が撮ってあげっちゃ!」と即座に申し出て下さり、

休日返上で撮影して下さいました。

(大そうカメラがお好きな方だったのです)

 

(我が家のPCには今も〝三辺淳撮影〝というフォルダがあり

大切に保存してあります)

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走馬灯のように12年が過ぎました・・・・。

どん底だったあの頃に比べると今は奇跡のようです。

砺波、福野、福光、城端、井波、高岡等、近隣の町から

またお隣の石川県、遠くは長野県、東京・・・・・・

信じられない所からご予約が入ります。

「ネットで知りました」と、東京や大阪からお見えになるケースも!

おまけにコンサートまで開催出来るようになったなんて・・・・・・

当時を思うと信じられません。



 

12年前のあの日、三辺さんと出会えたおかげで、我が家は蘇ることが出来ました。

出会ってからの8年間、

彼は徐々に変わっていく魚政亭をいつも温かく見守っていて下さいました。

私達に再起のキッカケの種を、沢山たくさんまいて下さいました。

折れそうな不安な心を、笑顔で励まして下さいました。

お世話になった事が多すぎて・・・・すべてを書くとキリが無い程です。

感謝してもしきれません。

 

 

4年前の7月、

「最近、淳さん来ないねー、忙しいのかな?」と話していたところ

知人から淳さんの訃報を知らされました。

 

いつものように仕事を終え、帰宅。

その夜、突如自宅で倒れ、病院での懸命の治療の甲斐も無く

数日後に亡くなられたそうです。

動脈瘤解離(どうみゃくりゅうかいり)という心臓病だったそうです。

 

散々お世話になりながら、ご葬儀に手を合わせる事も叶わず、

後悔ひとしきりでした。

正直、今でもまだ信じられず、

あの人懐っこい笑顔で訪ねて下さるような気がしています。

 

 

先日、祥月命日の4月24日、

「90周年記念祭」のJAZZライブのチラシを持って

TSTのKさんと一緒にご自宅を訪ねました。

 

笑顔で出迎えて下さった奥様。

ちょうどお経を唱えにご住職様がお見えになり、

霊前で手を合わせることが叶いました。

 

思い出話を沢山させて頂き、最後に4年間ずっと考えていた事・・・・・

HPの写真の隅に 撮影/三辺淳 と記載させて頂く旨、

淳さんとの思い出をブログに実名でアップする事を

快諾して頂けました。

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自営業はこれからも波瀾万丈だと思いますが、

今日、1日健康で無事に過ごせたコトに感謝し、

淳さんの御恩を忘れず、

これからも主人を支え頑張ってゆきたいと思います。

奥様からお借りした写真を掲載致します。

忙しい中、「砺波子供歌舞伎」「砺波夜高あんどん祭」等の

お世話もよくされていたそうです。

「カメラが好きでしたが、人を撮るばかりで自身の写真が

殆ど無いんです・・・・」と苦笑しておられました。


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淳さん、これからも見守っていて下さいね。(合掌)

※最後まで読んで下さった皆さま、どうもありがとうございました。

 

 

 

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2016年4月26日 (火)

三辺 淳さん 追悼①

4 142126分、

熊本県を中心に大きな地震が発生しました。

 

地震国ゆえの天変地異は誰を恨むことも出来ませんが、

一瞬で多くの家が倒壊し尊い命が失われたことに、

無情を感じずにはいられません。

地震により亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、

被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。

 

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平穏無事な日々の暮らしも、いつ、何が起こるのか予測が出来ませんね。

日々感謝して生きなければ!と、つくづく思います。

 

 

お世話になった〝かの人〝も、

気づいたら天国へと向かっている自分自身に

本人が一番驚いておられたことでしょう。

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ずっと文章に留めておきたかった事をようやくアップします。(出来ます!)

(長文ですが、お時間のある方は最後までお付き合い下さい)m(__)m

 

彼、三辺 淳さん(享年40歳)の尽力があったればこそ、

現在の「魚政亭」が再起出来たのだと記しておく為、

ご家族に了承の上、2回に分けて掲載致します。

 

 

Jpgsss

私達(当店)にとって言葉に尽くせない程お世話になった、

三辺さんが逝ってしまってから4度目の春がやって来ました。

 

今から14年前、信じられないかもしれませんが

主人と私は店の存続(廃業)を真剣に考えておりました。

 

我が家は大正末期、

祖父が魚の行商から一代で立ち上げた料理屋で、

昔は、大そう繁盛したそうですが

私が嫁いだ頃は、

義父と合わなかった主人は主軸を砺波の喫茶店「PAPER MOON」の経営にそそぎ

絵描きになりたかった義父は「魚政亭」の経営に身が入らず、

障害をもった義弟の世話や商売で義母は心臓病を患い、

店にかつての面影はありませんでした。

 

義母に懇願され、結婚を機に主人は喫茶店を人手に渡し、

経営の立て直しを図るべく「魚政亭」亭主となりました。

そして料亭から仕出し業へ移行し、再起を模索しました。

(今から30年程前は、まだ葬儀やお祝い事等を

自宅で執り行う家庭が多かったのです)

 

主人の頑張りで徐々に仕出しの注文も増え、経営は軌道に乗り、

私達は安堵と共に将来へ手ごたえを感じていました。

 

しかし時代の変化は激流の如く、私達を翻弄しました。

次々建設されるセレモニーや大きなホテル。

最新の設備、送迎バス、マニュアルで教育された人材、優秀な料理人等・・・・・

大手企業は大きな資本力で私達個人商店の前に立ちはだかりました。

 

町中にあり立地条件も悪く、駐車場も狭く、古い家屋、

・・・・・・・不便な当店は完全に取り残されました。

(価格を下げ、採算度外視のサービスをしても客足は戻りませんでした)

 

 

3週間、全く予約が入らない日々が続き、

ついに私達の頭に〝廃業〝の2文字がちらつき始めました。

(就職先を心配して下さる知人もおり真剣に悩みました)

 

しかし、当時50歳を過ぎた主人が

3人の子供達と家をまかなっていけるほどの給料を稼げる就職先は無く、

たまたま訪れた京都で体感したカルチャーショックが起点となり、

夫婦で考え抜いた末、

「古い家屋を直し、個性ある魅力的な店をつくろう!

遠くからでもお客さんが探してでもやって来る店を作ろう」

そう話し合い覚悟を決めました。

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元々器用な主人は手前大工で改装を始めました。

仕事が減ってゆく中での改装は思っていた以上に費用が掛かり、

傍で見ていた私はとても不安でした。

(昔は冬場になると海女さんが出稼ぎにやってくる面白い店として

繁盛した時もあったそうですが、

その売り上げの多くは義父の道楽に消えてしまっていたのです)

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しかし

「登山で言えば山の中腹、ここで投げ出すことは出来ない」と

主人は改装を続けました。

 

2年が過ぎた頃、

努力の甲斐あって、古い、ふるい家屋は

大正浪漫の雰囲気漂うハイカラなお店に生まれ変わりました。

チラシを作り宣伝する事も考えましたが、

土日祝際に予約が集中することが予測され、

夫婦だけの小さな受け皿では対応出来ないとの理由から

〝コツコツ頑張れば口コミで客足は戻るだろう〝・・・・・・と見送りました。

・・・・・・・・しかし期待したようには予約は入ってきませんでした。

 

そんな中、12年前のある日、

一人の男性が我が家の玄関の引き戸を開けました。

「はじめまして、私はTSTとなみ衛星通信テレビの三辺と申します」

 

三辺 淳さんとの出会いでした。

三辺 淳さん 追悼②へ続く

 

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2016年4月22日 (金)

立山「雪の大谷」

爽やかに晴れ渡ったある日、娘と二人で、

全線開通直後の「雪の大谷」へ行って来ました。

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「雪の大谷」は言わずと知れた、

春の立山黒部アルペンルートの人気スポットで

今や世界的にもかなり有名。

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この季節の立山は私も初めてで・・・・・・

予想はしていたもののターミナルは大混雑!

(平日なのに・・・・・)

そして殆どが外国人のようです・・・・・(^_^;)

(日本語が聞こえません)

今年は暖冬の影響で雪の壁は13m
かなり低いそうですが、

それでもなかなか圧巻でした!

(多い時は20mに迫るコトも!)

・・・・・・しかし・・・・・あまりの観光客の多さに、

早々に雄山が見渡せる雪原へと移動。

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気温0度!

頬にあたる風はとても冷たくて、凍りそうなくらいでしたが、

喧騒から逃れて、

一面銀世界の立山、剱岳の景色を堪能するコトが出来ました。

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冷えた身体に
佐々成政ゆかりの、※さらさら汁が美味しかった。(=^^=)

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※沙羅沙羅汁(さらさら鍋)

 

天正12年(1586)の暮れ、戦国武将富山城主、佐々成政は30余人の家臣らを引き連れ、

 

羽柴秀吉に対抗しようと討伐を家康に勧めるため厳冬の立山の獅子岳と鷲子岳の間に

 

あるザラ峠を越えたが、家康を説得できず、再び越中へと戻った。

 

この道中、案内をした芦峅寺宗徒らが山菜・餅・塩漬け肉・野菜などの食料を調達し、

 

作った心身温まる料理が「さらさら汁」と言われています。

 

 

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2016年4月 9日 (土)

灯明皿(とうみょうざら)

先日、昨年4月に逝った

君子おばちゃんの一周忌法要が無事に終わりました。

親戚が集い、思い出に花を咲かせました。

昨年もちょうど桜の満開の頃でした・・・・・。

http://uomasatei.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-07e4.html

 

Photo

ただの偶然なのか・・・・・

何故か?ここ数年、桜の季節に大切な人が逝ってしまいます。

 

今年は私達夫婦にとって、

お客様であり、友人であったSさんが逝去されました。

いつも愉快な話を沢山聞かせて下さった、優しい笑顔の素敵な方でした。

 

先日奥様が訪ねて下さり、

「主人が大切にしていましたが、良かったらお店で使って下さい」と

ご主人様がわざわざ作家さんに作らせたという※〝灯明皿〝を戴きました。

 

素朴な素焼きの皿です。

灯心にそっと火をつけると・・・・・・

闇の中、

生き物のようにゆらゆらと揺れながら光を放ちます。

Sさんはどんな気持ちでこの灯りを見つめていたのでしょう。

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じーっと・・・・・・・静かに、静かに、ゆらめく炎を眺めていると、
色々なコトを思い出して・・・・・・思わず胸が熱くなりました。

 

まあ、いいや・・・・時にはこんな夜があってもいいでしょう・・・・・ね?

 

 

 

【灯明皿】(とうみょうざら)

油に灯心を浸して点火し,明りとするための器。

人類は火を使用することによって,暖と明りを得たが,ある段階から土器を使用して

明りだけを得ることができるようになった。日本では縄文時代中期の釣手土器を最古

の明りとりの土器とする説があるが,確実な例が現れるのは飛鳥・奈良時代に杯・皿形

の土師器を用いるようになってからである。当時の宮都から出土する土師器杯には,

灯心の痕跡を残すものがあり,油を満たした杯に灯心を浸して,灯火器として用いた

ことがわかる。

 

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