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2016年4月26日 (火)

三辺 淳さん 追悼①

4 142126分、

熊本県を中心に大きな地震が発生しました。

 

地震国ゆえの天変地異は誰を恨むことも出来ませんが、

一瞬で多くの家が倒壊し尊い命が失われたことに、

無情を感じずにはいられません。

地震により亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、

被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。

 

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平穏無事な日々の暮らしも、いつ、何が起こるのか予測が出来ませんね。

日々感謝して生きなければ!と、つくづく思います。

 

 

お世話になった〝かの人〝も、

気づいたら天国へと向かっている自分自身に

本人が一番驚いておられたことでしょう。

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ずっと文章に留めておきたかった事をようやくアップします。(出来ます!)

(長文ですが、お時間のある方は最後までお付き合い下さい)m(__)m

 

彼、三辺 淳さん(享年40歳)の尽力があったればこそ、

現在の「魚政亭」が再起出来たのだと記しておく為、

ご家族に了承の上、2回に分けて掲載致します。

 

 

Jpgsss

私達(当店)にとって言葉に尽くせない程お世話になった、

三辺さんが逝ってしまってから4度目の春がやって来ました。

 

今から14年前、信じられないかもしれませんが

主人と私は店の存続(廃業)を真剣に考えておりました。

 

我が家は大正末期、

祖父が魚の行商から一代で立ち上げた料理屋で、

昔は、大そう繁盛したそうですが

私が嫁いだ頃は、

義父と合わなかった主人は主軸を砺波の喫茶店「PAPER MOON」の経営にそそぎ

絵描きになりたかった義父は「魚政亭」の経営に身が入らず、

障害をもった義弟の世話や商売で義母は心臓病を患い、

店にかつての面影はありませんでした。

 

義母に懇願され、結婚を機に主人は喫茶店を人手に渡し、

経営の立て直しを図るべく「魚政亭」亭主となりました。

そして料亭から仕出し業へ移行し、再起を模索しました。

(今から30年程前は、まだ葬儀やお祝い事等を

自宅で執り行う家庭が多かったのです)

 

主人の頑張りで徐々に仕出しの注文も増え、経営は軌道に乗り、

私達は安堵と共に将来へ手ごたえを感じていました。

 

しかし時代の変化は激流の如く、私達を翻弄しました。

次々建設されるセレモニーや大きなホテル。

最新の設備、送迎バス、マニュアルで教育された人材、優秀な料理人等・・・・・

大手企業は大きな資本力で私達個人商店の前に立ちはだかりました。

 

町中にあり立地条件も悪く、駐車場も狭く、古い家屋、

・・・・・・・不便な当店は完全に取り残されました。

(価格を下げ、採算度外視のサービスをしても客足は戻りませんでした)

 

 

3週間、全く予約が入らない日々が続き、

ついに私達の頭に〝廃業〝の2文字がちらつき始めました。

(就職先を心配して下さる知人もおり真剣に悩みました)

 

しかし、当時50歳を過ぎた主人が

3人の子供達と家をまかなっていけるほどの給料を稼げる就職先は無く、

たまたま訪れた京都で体感したカルチャーショックが起点となり、

夫婦で考え抜いた末、

「古い家屋を直し、個性ある魅力的な店をつくろう!

遠くからでもお客さんが探してでもやって来る店を作ろう」

そう話し合い覚悟を決めました。

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元々器用な主人は手前大工で改装を始めました。

仕事が減ってゆく中での改装は思っていた以上に費用が掛かり、

傍で見ていた私はとても不安でした。

(昔は冬場になると海女さんが出稼ぎにやってくる面白い店として

繁盛した時もあったそうですが、

その売り上げの多くは義父の道楽に消えてしまっていたのです)

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しかし

「登山で言えば山の中腹、ここで投げ出すことは出来ない」と

主人は改装を続けました。

 

2年が過ぎた頃、

努力の甲斐あって、古い、ふるい家屋は

大正浪漫の雰囲気漂うハイカラなお店に生まれ変わりました。

チラシを作り宣伝する事も考えましたが、

土日祝際に予約が集中することが予測され、

夫婦だけの小さな受け皿では対応出来ないとの理由から

〝コツコツ頑張れば口コミで客足は戻るだろう〝・・・・・・と見送りました。

・・・・・・・・しかし期待したようには予約は入ってきませんでした。

 

そんな中、12年前のある日、

一人の男性が我が家の玄関の引き戸を開けました。

「はじめまして、私はTSTとなみ衛星通信テレビの三辺と申します」

 

三辺 淳さんとの出会いでした。

三辺 淳さん 追悼②へ続く

 

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