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2024年2月21日 (水)

魚政亭の成り立ち

コロナ以降、久しぶりに大型バスが駐車場に停まりました。




福井からのバスツアーのお客様の昼食です。
HPや私のブログを読んでご予約下さったそうです。
最終打ち合わせ頃に「来店の際、皆様に魚政亭さんの歴史を紹介して欲しい」と言われ、
急遽〜魚政亭の成り立ち〜なるものを作成してみました。
夫や亡き舅姑、また親戚に聞いていた話をまとめたものですが・・・・・
改めて98年の間、色々な出来事があり沢山の人々との関わりがあり、
今日までやってくる事が出来たのだと感慨深いものがありました。

Photo_20240221170601
以下、紹介します。



「魚政亭の成り立ち」  


魚政亭は大正初期、初代政吉が魚の行商を始めたことからはじまります。
政吉は商売の才覚があり、町の人々からも信頼される人物だったようです。
大正15年、現在の地に「魚政亭」の看板を挙げ、
本格的に料亭として営業を開始しました。
当時はこの町にも置屋があり、連日芸子さんを呼んでは三味線と
太鼓の音色が響き、大そう賑やかだったようです。
その後、太平洋戦争中(昭和16年~昭和20年頃)は
一時的に現在の旧館2階が軍事工場として使用され、
飛行機部品の一部を製造する傍ら、統制経済の中、
魚の配給元に指定され、町の人々の食生活の一端も担いました。


終戦後、昭和30年頃から、冬場になると海に潜れない海女さん達が、
能登半島(輪島や舳倉島)から当店へ出稼ぎに来ていました。
多い時は住み込みで10人程働いていたそうです。
昭和48年、二代目政一は大きな宴会場を備えた
鉄筋3階建ての店舗を建設。併せて当時評判の作庭家に依頼し、
池を掘り、大々的に庭のリフォームを実施しました。
政一は美への探求心が強く、自身も南画家として活躍する一方、
骨董や掛け軸を熱心に収集しました。
宴会場には鈴木松年(美人画で有名な上村松園の師匠)による六曲二双の屏風、
床の間には季節に合わせた軸を飾りますが、時に政一が描いた掛け軸もお目見えします。
旧館には人間国宝、濱田庄司の花瓶、一階ラウンジの棚には
豪華な装飾が施された輪島塗による蒔絵椀をご覧いただけます。


現在は三代目である夫が亭主でございます。
夫は約25年前、日本の伝統文化の素晴らしさに目覚め、
古くなってゆく家屋や館内を手前大工によりリフォームを開始しました。
目指したのは「大正浪漫の雰囲気を壊さず残しつつ、お客様が安らげる空間」。
テーブルを手造りし、館内の部屋全てを椅子席に変更しました。
更に庭のライトアップや館内の照明にこだわり、自分の目で収集し、
時には照明さえ手作りしました。
音楽も好きで旧館一階では今も昔のレコードを聴く事が出来ます。


御料理は季節の自然な素材を用い、身体に優しく
安全な食事の提供を常に心掛けております。
店は町中にあり周囲には絶景もありませんが、
敷地の中だけでも魚政亭ワールドを創りたいと夫婦で工夫してきました。
当館で過ごすひと時が掛け替えのない「時」となりますよう
これからも精進してゆきたいと思います。

      

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