母、父のもとへ・・・
備忘録(長文です)
約5年程前から、老化による体調不良から徐々に運動機能が低下。
3年前からほぼ寝たきりになりました。
次第に意思疎通も出来なくなりましたが、
時々問いかけに反応したので判る時もあったと思います。
母の家系は心臓が弱く(多分遺伝性心臓病。母の姉は30半ばで心臓発作で早逝)
母は心臓は勿論、生まれつき背骨が湾曲しており耳は片方聞こえませんでした。
それでも負けず嫌いの気質、持ち前の明るさから何事も一生懸命にこなし、
几帳面な性格で片付けや掃除が上手。家計簿を毎日欠かさずつけていました。
共に大勢の兄弟姉妹の家に生まれ、親から援助など一切受けられない中、
共働きで家を建て、姉と私を育ててくれました。
何処にそんな時間があったのか?編み物が得意で、
沢山ベストや手提げを編んでくれました。
学校の先生から「まあ、素敵
お母さんの手作り?」と言われ

嬉しかったのを覚えています。
若い頃は「村1番の美人」と言われたそうです。(自称)
NTTの前身となる電電公社で電話交換手として勤務。
市内全ての電話番号を記憶する事を要求されたそうで、
(その時の鍛錬の賜物か?)母の記憶力は目を見張るものがありました。
直近の事を覚えているのは当たり前。
「○年前の○月○日に○○さんと何処そこへ旅行へ行った」など
平気でサラリと話し、いつも皆んなを驚かせました。
毎年忙しさからスッカリ忘れている私達の結婚記念日には、
必ずケーキを持ってお祝いに来てくれました。
長男誕生後は、忙しい私の代わりに母親代わりとして大活躍。
早朝長男を実家へ預けに行くと、母は決まって長男を背中におぶって
「煙を見に行くよ〜♫」と、裏手の山へ続く階段
(そこから市内が見渡せて煙突の煙が見える)を上がってゆき、
その隙に私は急いで帰宅するのが定番でした。
(私が帰る姿を見せると長男が泣くので)
一方、母は私達が子供の頃から常に父親ファースト。
それは死ぬまで変わりませんでした。
常に「お父さん、お父さん」。
孫が生まれてからは「ジージー」と呼びながら、
いつも父のベルトや服の裾を掴んで歩いていました。
娘の目から見てもスーパースペシャル仲良し夫婦でした。
父は分家なのでお墓がありません。
今、姉夫婦はどうするか思案中です、、、、
そんな訳で父の遺骨はまだ実家にあります。
ゆえに現在、遺骨が仲良く2つ並ぶという稀に見る珍しい光景となっております。
今後二人は納骨も法事も(1周忌、3回忌、7回忌、、、)
永遠にずっと一緒です。なんてエコな夫婦でしょう。(笑)
しかし、、、、介護度マックス5の母と父を在宅で介護し
看取る現実は、並大抵な事ではありませんでした。
勿論私も出来る限りのサポートはしましたが、
多くは姉夫婦の献身的な介護のおかげです。
多くの人が病院や施設で最後を迎える中、本当に幸せな夫婦、
幸せな人生だったと思います。
母は苦しみから開放され、この世に何の未練も無く、
軽い身体になって浄土へと旅立ち、今頃は父との再会を喜んでいるでしょう。
私と姉はきっと母の方が早く逝くだろう・・・と予想していました。
しかし、母は頑張りました!
多分・・・・見た目とは裏腹に寂しがり屋だった父を心配し
「ジジを見送ってから」と頑張っていたのだと思います。
晴れ女の母は通夜葬儀共に良い天気でした。
そして、奇跡的に我が家に予約が入っていない2日間でした。
段取りの良い母の配慮のような気がしています。
年明け早々から父〜母を相次いで見送り寂しさはありますが、
姉と「最後の厳しい子育てが終わったね」と、安堵しているのも事実です。
今後は両親を手本に夫を支え、悔いの無い人生を送れるように精進してゆきます。
追記①
(娘から聞いた事)
母を自宅から出棺する際、娘が父の遺骨をそっと撫でながら
「ジジ、お留守番お願いね」と声を掛けると・・・・
何処からかオルゴールが1音だけ「ポロン」と鳴ったそうです。
娘は目を丸くしてオルゴールを探しましたが、
何処にあるのか分からなかったそうです。
不思議です。でも・・・きっとイタズラ好きな父が返事をしてくれたのだと思います。
今も近くにいてくれるんだな・・・・。
悲しいはずなのに何だかほっこりした気分になりました。
追記②
FB投稿にあたり、両親の写真を探していたら
(PC、携帯は撮り溜めた写真でグチャグチャ)
そんな中から最高の1枚を見つけました。
母が父のベルトを掴んで歩いている。
そうそう、いつもこんな感じだったな・・・・。
ふと、何処へ行った時の写真かな?と調べてみたら・・・
うわぁ、まさかの白骨温泉
これも悪戯好きな父の仕業?(笑)

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