旅行・地域

2017年10月31日 (火)

九州への旅④ -おまけ-

今回の旅の目的は4つ

 ちさとさんにお会いする

 ちさとさんの亡き夫、和夫さんの霊前に手を合わせる

 可能ならKさんにお会いする  

 当店のお皿の故郷、有田町を散策する

 

・・・・・・残念ながら

生前にちさとさんにお会いする事は叶いませんでしたが、

娘さん達と沢山お話をする事が出来、

思い残すことの無い旅でした。

 

 

飛行機で約40分あまり・・・・・・早い!近い!

と言いつつも、なかなか行けない所です。

折角なので駆け足で少しばかり観光して来ました。

 

以下、訪れた場所と美味しかった味覚を

記録に残すべくアップ致します。

 

【初日】Img_3754

お昼、金立サービスエリアのレストランで

「ちゃんぽん麺」をズズズーッ!

丸田家を訪れた後、夜は娘さん達と一緒に

お薦めの「伊万里牛焼肉」を堪能。

武雄市のホテル到着後、近くの「武雄温泉」へ徒歩で移動。

のんびり湯に浸ってきました。

 

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【二日目】

早朝、宿からすぐの「御船山楽園」を散策。

背後の大きな岩を借景に取り込んだ豪壮な庭園。

その後、当店のお皿のルーツ、行きたかった有田町へ。

至極大変な状況とは聞いてはいたけれど、

やはりかなりさびれた感じ。

手間がかかっている上、

色彩も美しく丈夫なお皿なのですが・・・・・。(-_-;)

色々な事を考えながら、地域の方とお話したり・・・・・・・

ゆっくりと散策。

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お昼は川魚料理で有名な有田町にある「龍水亭荘」へ。

主人は「鯉のあらい定食」、私は「うなぎ定食」。

庭を眺めながらの食事は落ち着けて良かったです。

 

食事後、唐津市へ移動、

唐津くんちの曳山14台を一堂に公開してある

「曳山展示場」見学後~炭鉱主として知られる「旧高取邸」を見学。

唐津城本丸の西南の海岸沿い、

2300坪の広大な敷地に建つ邸宅ですが、

あまり手入れがされておらず、折角の庭園が荒れていました。

夕方、折角なので「ハウステンボス」へ!

まるで光の王国のよう・・・・・・広い、広い!

ゴンゴラに乗り、船頭さんの解説つきで周遊して来ました。

夕飯は「皿うどん」!

 

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【三日目】

「柳川藩主立花邸御花」見学。

残念ながら、只今改修中とのコトで、

主人が見たかった広間は見られず・・・・・・

舟下りを愉しんだ後、Kさんのお宅で

極上の鰻を御馳走になる。

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宿に戻ってから、
最後の夜はジャズを聴きに行こう!というコトになり、
タブレットで検索し「ジャズ喫茶シネマテーク」へ。
・・・・・・と、入口のドアに大ファンの
川嶋哲郎さんのフライヤーが~~!!
なんと、あと2日後!残念~!
それでも熊本で活躍中のテナーサックス奏者、
中田博さん率いる
Nouveau Bop Band の心地いい演奏を聴くことが出来ました。

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【四日目】

午後には帰路に着かねばならず、

駆け足で「大宰府天満宮」(鳥居の前で記念写真のみ)

そして後、飯塚市にある筑豊の炭鉱王「旧伊藤伝右衛門邸」へ。

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ここはNHK朝の連続TV小説「花子のアン」の中で

村岡花子の腹心の友として描かれている、

葉山蓮子(柳原白蓮)が再婚し嫁いだ邸宅。

伝右衛門は大正天皇の従妹にあたる白蓮を迎えるにあたり、

京都から宮大工を呼び、約2300坪という敷地に、

部屋数25という贅の限りを尽くして豪邸を建てました。

いや・・・・その素晴らしい事と言ったら!

(度肝を抜かれました)

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主人が手前大工で店の改装を始めてからと言うもの、

明治や大正時代に建てられた邸宅や洋館を巡るのが

私達の趣味なのですが・・・・・

今まで数々観て来た中でも

「伊藤伝右衛門邸」は邸宅・庭園の広さ共に圧巻!

特に白蓮の居室には竹の節だけを残した欄間(らんま)

銀箔を張った襖など・・・・・驚くような技法を使い、

意匠を凝らした細工は、ただただ目を奪われました。

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伝右衛門と白蓮は25歳という
年齢差があり、

互いを理解出来ないまま、

白蓮は※有名な事件を起こす
訳ですが、

彼女がいつも座っていたという
場所に静かに座してみると・・・・・

いかに伝右門が白蓮に精一杯気を

遣っていたのかが、

理解できるような気がしました。


http://reki4.com/00320.html

 

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後ろ髪を引かれながら伝右衛門邸を後にし、大急ぎで福岡空港へ。

慣れないフライトの手続き後、お土産を購入し、

九州を後にしました。

 

 

さあ、これで九州の旅のブログはおしまいです。

一生忘れられない旅でした。

佳子ちゃん、優子ちゃん、金子さん、Kさん、

沢山の思い出をありがとうございました。

 

そして・・・・・快く送りだしてくれた子供達、

55歳の私にお小遣いをくれたお父さん、お母さん。

色々相談に乗って下さった日本海ツーリストのSさん、

心から感謝しています。

機会があったら是非また行きたいなぁ。(笑)

(さあ、また行けるように頑張って働かなくっちゃ!)

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2017年10月22日 (日)

九州への旅③ -柳川の再会-

今回の九州への旅の目的は、じつはもう一つありました。

 

主人、浅地政博と柳川に住んでおられるKさんとの

45年ぶりの再会です。

(幾度も聞かされた話です)

 

主人がしばらく働いていた東京から帰郷し、

家業を手伝っていた22、23歳頃の12月のある日・・・・・・

金沢へ仕入れに行った帰り道、

津幡辺りで、雪の降る中を薄い格好で寒そうにペチャペチャ歩く

一人の若者(Kさん)の姿が目に留まったそうです。

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一旦は通り過ぎたものの・・・・・気になって車を停車し

「何処へ行くの?」と声を掛けると、

若者は

「北海道へ行くんです」と答えたそうです。

 

しかし、到底旅をしている様には見えず・・・・・・

ただならず気配を感じた浅地青年は

車に乗るよう声をかけ自宅へ連れて行き、

何も聞かずにKさんを自分の部屋に泊めてあげたそうです。

 

少し元気を取り戻し、

「行きます」と告げるKさんを再び旅へと送りだした数日後、

「風邪を引いてしまって・・・・・」と金沢から電話が入り、

浅地青年が急いで石動駅へ迎えに行くと、

高熱にうなされ、今にも倒れそうなKさんがいたそうです。

 

すぐに連れ帰り看病するも、

なかなか熱が下がらず3日間寝たきり・・・・・・

ようやく回復したKさんに、しばらく魚政亭の仕事を手伝ってもらい、

アルバイト代を手渡し、自宅のある九州へと送り出したコトがあったそうです。

 

 

以来、何十年もの間、毎年暮れになると、

ほっぺが落ちそうなくらい美味しいみかんが送られてきます。

 

 

今回主人が何気に

「折角だから・・・・・もし行けたら、

柳川藩主 立花邸御花へ行きたいなぁ」と言い出し、

間髪入れずに私は

「柳川!? ならKさんに会って来ようよ!」

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いや、若い頃の思い出はそのままでいいよ」

そう話す主人ですが、

今まで耳にタコが出来る程、Kさんの話を聞かされてきた私は

お会いした事も無いKさんに

〝一体何があったのか?〝

〝どんな方なのか?〝・・・・・・・興味が湧くばかり。

 

 

御住所を調べると、御花から車で3分の場所に自宅があると判り、

意を決して私が電話をかける事に・・・・・・ドキドキ

 

明るい声で電話に出て下さった奥様、

Kさんは大そう驚かれたようですが、すぐさま

「是非、我が家へいらして下さい。

柳川はうなぎが名物です。一緒に食べましょう!」

 

いきなりお昼を御馳走になるのは申し訳ないと、遠慮するも

是非にと勧められ・・・・・・覚悟?決め、

図々しく押しかける次第となりました。

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笑顔で迎えて下さったKさんと奥様、

浅地青年は浅地オジサンに・・・・・約45年ぶりの再会です。

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美味しいうなぎを御馳走になりながら、話は現在~過去へと溯り、

私の何故?一体何が?は、ため息と共に理解する事が出来ました。

 

とてもとても深い事情があり、

ここで明かす事は差し控えさせて頂きますが、

45年前、何気にとった主人の行動は
そっと心を撫ぜてあげたような出来事だったのだと分かりました。  

別れ際

「今度は是非富山へいらして下さい」と握手を交わし、

近いうちの再会を約束しました。

 

半ば強引に私が仕組んだ感じですが、

「元気で良かった、幸せで良かった・・・・・」と、

噛みしめながら話す主人の様子に私もホッとしました。 

若い頃も今も・・・・お人好しな性格は変わっていないのですね。

 

 

kさん、奥様、お世話になりました。

富山でお待ちしております。

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九州への旅④ -おまけ- 続く

 

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2017年10月21日 (土)

九州への旅② -心の中に-

今年の1月、九州佐賀に住んでおられる

姉と慕っている丸田ちさとさんと、電話で年始の挨拶を交わしました。

他愛もない話の最後・・・・・いつものように、

「会いたかね~、お互い元気でいて必ず会いましょうね~」

・・・・・そう言って受話器を置きました。

 

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5月、突如ちさとさんの娘さんからラインでメッセージが届き、

彼女が末期癌であると知りました。

ご主人の急逝を知った時と同様・・・・・いえ、それ以上に言葉を失いました。

 

何はさておき、会いに行きたい衝動に駆られました。

「会わないと私は一生後悔する!」・・・・・・そう思いました。

しかしながら、津沢夜高あんどん祭も間近に迫り。

すぐに行く事は叶いませんでした。

 

娘さんは頻繁にちさとさんの様子を知らせてくれました。

以前はふっくらしていた身体は、痩せて・・・・・・・

痛々しい程に細くなっておられました。

毎日、毎日、彼女の事を思わない日はありませんでした。

 

 

会いたい・・・・・でも、今、死を前にしている彼女に、

10数年も会っていない私がピンピンした姿で会いに行って、

彼女はどう思うだろうか?

私が逆の立場だったら嬉しいだろうか?

グルグルと疑問符が頭を巡りました。

 

 

・・・・・・・そして気づきました。

会いたいか会いたくないかを決めるのは私では無い。

今、私に出来るコトは

沢山優しくして頂いてありがとう、相談にのって下さってありがとう。

私は貴方の事が大好きです。

心から大切に思っています

そう伝える事なのだ!と・・・・・・・・。

「会わないと後悔する」なんて言うのは全くの自己中心的な考えで、

彼女が最後の時まで安らかな時間を過ごせるのであれば、

私は後悔してもいいのだ。

 

それから何度もミスをしながら精一杯の想いを込めて、

携帯で自撮りしたメッセージ動画を送りました。

最後に

「会いたいと思って下さるのなら、必ず会いにゆきます」と・・・・・・・。

ちさとさんは涙を流しながら、

何度もうなずきながら・・・・・じっと見て聴いてくれたそうです。

 

7月に入り、娘さんから

「医師から母の余命はもって1~2か月と言われました。

今、緩和ケア病院への転院の手続きをしています。

私は介護休暇を取ろうと思います」

 

 

このメッセージで私の心は決まりました。

718日、小松空港発→福岡空港行き、

彼女に会うためにチケットを取りました。

 

 

 

しかし、九州へ行きを伝えて間もない7月14日、

ちさとさんは静かに68歳の生涯を閉じて逝かれました。

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間に合いませんでした。

私が送った動画を何度も娘さんに見せてもらいながら、

到着を待っていてくれたそうです。

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我が家の茶の間には、平成2年に

丸田さんのご家族と一緒に玄関先で撮った写真が飾ってあります。

写真はいやおうなく毎日目に入ってきます。

いつからか・・・・・・

「もしいつか ちさとさんに万一の事があれば

もう九州とは縁が切れてしまうね・・・・・寂しいね」

時折、主人とそう話していました。

 

 

・・・・・・・けれど娘さんと何度もやり取りをするうちに、

心に大きな変化が起こりました。

「決して縁が切れる訳では無い。

ちさとさんは娘さんの中に・・・・・・・

そして私達の心の中に生きている。

私達はこれからも変わらず、

今まで通り娘さんと交流を深めていけばいいのだ」

 

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「死」は言葉では説明出来ない多くの事を学ばせてくれます。

今回私の心は、洗濯機でグルグル回されるが如く葛藤を繰り返しながら、

(二転三転しながら)

彼女が旅立って三か月が過ぎた今、

ようやく落ち着いて振り返る事が出来るようになりました。

 

二人の娘さんとは時間の経過を全く感じずに

泣き笑いしながら、沢山お話をする事が出来ました。

 

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「ゆかりさんの心は、ちゃんと母に届いとったとよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まだ悲しみ深い中でも、私を気遣ってくれる

ご両親の優しさをそのまま受け継いだ二人です。

 

 

日々、容体が悪化してゆく中、お母さんの手を握り、

好きだった「早春賦」を耳元で歌ってあげたそうです。

 

「とにかくつらいけれど

幸せな時間を過ごしているなぁと感じています」

・・・・・・ある日、ラインで届いたメッセージ。

胸が締め付けられる程に切なく・・・・・、

同時に愛娘二人に看取ってもらえる彼女を、羨ましくも思いました。

 

 

今日生かされているコトに感謝しつつ、

彼女の命を受け継いでいる娘さんと

未来へ向かって新しい絆を繋いでゆこう・・・・・そう心に誓いました。

 

「ゆかりさんの事は妹ごたる思ってとるけんね」

・・・・・・・優しく懐かしい声が思い出されます。

 

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寂しいけれど、

「天命は人力の及ばざる所、いかんともする能わず」

※司馬遼太郎「坂の上の雲」より引用。

 

ちさとさんとは、いずれまた何処かでお会い出来るでしょう。

終らない日まで・・・・・前を向いて一生懸命に生きてみます。

 

 

長い文章になりましたが、

かつて九州、佐賀県に「丸伸堂」という有田焼のお店があり、

丸田和夫さん、ちさとさんという仲の良いご夫婦が

懸命に生きたという事を知って頂けましたら幸いです。

 

 

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九州への旅③へ 

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2017年10月19日 (木)

九州への旅① -有田 丸伸堂-

7月18日~21日まで三泊四日で九州へ行って来ました。

色々あって・・・・・考えに考えた末の九州行きでした。

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ようやくですが・・・・・・・泣き笑いだった今回の旅を忘れないよう、

数回に分けて書いてみようと思います。

(毎度ながら女将らしくないブログです)

 

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当店で使用している器は殆どが有田焼です。

私が嫁いできた時・・・・・・・

既に有田商人の丸田さんが当家に出入りしておられ、

我が家は富山での常宿になっておりました。

 

あたたかい九州弁を話す丸田さんは、

男前の上、折り目正しく朗らか・・・・

私が訪れたことの無い日本各地の様々な事を話して下さり、

年に数回お見えになるのがとても楽しみでした。

 

やがて丸田さんは有田焼の大手「賞美堂」を退社し

「丸伸堂」と看板を挙げ、独立。

小矢部市内に事務所兼展示場を借り、

井波 「創遊館」 等で何度も展示会を開催され、

精力的に仕事をこなしておられました。

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特によく覚えているのは、

平成2年に当店で展示会をされた折のコト・・・・・、

ご家族で当家に宿泊され、奥さんのちさとさんや二人の娘さんと

とても仲良くなりました。

まだ長男は1歳にもなっておらず、

娘さんたちは「可愛い、ちっちゃいね~」と、

はしゃぎながら可愛がってくれました。

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しかしながら・・・・遠く九州から荷物(沢山の皿や骨董品)を満載して、

車で各地を周るのは体力・気力に加えて費用もかかり、

とても大変だったようです。

独立から数年後、無理がたたり心臓を悪くされ、

手術を受けられたものの・・・・・・

平成11年、53歳という若さで逝去されました。

・・・・・・ショックでした。

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九州へ飛んでいきたい想いは抑えきれない程ありましたが、

子供達は10歳、7歳、4歳・・・・断念せざるを得ませんでした。

 

それからしばらくしてから、

奥さんの ちさとさんは残った器や骨董を特売で処分され、

事務所閉じて行かれました。

お会いしたのはその時が最後です。

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以後、時折電話で近況報告をしたり、

手紙をやり取りしたり・・・・・・・交流が始まりました。

些細な悩み事を笑って受けとめて下さる

私より15歳上のちさとさんは、

いつしかどんな事でも包み隠さず話せる、

姉のような存在になってゆきました。

 

大黒柱だったご主人の急逝・・・・・

言葉に出来ない程、大変だったことでしょう。

それでも、勉強して資格を取られ、介護関係の施設で働きながら

二人の娘さんを立派に育て上げられました。

 

数年前には娘さん達は揃ってご結婚、お孫さんも誕生され、

平穏な幸せを噛みしめておられるようでした。

 



②へ続く

 

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2017年1月17日 (火)

飛騨古川「八ツ三館」

昨年の秋、実家の両親、姉、私の4人で一泊二日の温泉旅行へ出掛けました。

(記念に残すべくアップ致します)

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すっかり秋の気配が山々を彩る11月後半、

忙しい忘年会シーズンの合間をぬって一泊で温泉へ出掛けました。

親子水入らずなんて・・・・・一体何十年ぶりでしょう?(約30年ぶり)

 

選んだのは私の一番のお気に入りの宿、

飛騨古川にある「八ツ三館」。

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ここは初代が越中八尾から移り住み、
宿屋をはじめてから約160年という歴史あるお宿。

宮大工の手による木造の二階建ては、

登録有形文化財に指定されています。

 

明治から大正にかけて、

多くの貧しい農家の娘たちが野麦峠を越えて

信州の製糸工場や養蚕工場へ出稼ぎに行きました。

ここ「八ツ三館」は娘たちが故郷で最後の夜を過ごした宿・・・・・・。

(きっと複雑な思いだったでしょうね)

※大竹しのぶ主演の映画「あぁ野麦峠」で広く知られるようになりました。

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笑顔のお出迎えをうけた後、
レトロな洋館風なお部屋で、
お抹茶と御菓子を頂きます。

その後、お部屋へと案内されるのですが、

今回は残念ながら新しいお座敷。

(以前泊まった登録有形文化財「招月楼」は素敵だったなぁ)

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しかし何時にもまして嬉しそうな両親、

早速浴衣に着替えて湯殿へGO!

 

温泉は少しぬるめですが、その分長く浸かっていられます。

そして露天の湯船の脇には硝子の容器に入った日本酒が!

傍らに竹を割った ぐい呑が置かれています。

頭に手ぬぐいをのせ、薔薇を浮かべた湯に浸り、

冷酒(とても口当たりがいい!)をチビチビ・・・・・・・。

温泉の定番を絵に描いたよう。

「あー、いい気持ち~♨」

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この宿は古い木造家屋につなげて新館を増築したゆえに、

場所によってヒンヤリする箇所があったり、

迷路のような廊下が続きウロウロしてしまいますが、

〝不便&遠回り〝が好きな私は、探検をしているみたいでワクワク楽しい♪

 

そして・・・・・お愉しみのお食事タイム(ˆ◡ˆ)

こじんまりした掘りごたつのお部屋へ通され・・・・ふと外に目をやると

ライトアップされた庭の中央でパチパチと〝かがり火〝が燃えています。

炎が好きな父はこれだけでもテンションup!

(自宅には囲炉裏、風呂は今も薪で焚いている父ゆえ)(^^

 

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次々と運ばれてくる御料理は味もさることながら、

器、盛り付け・・・・とてもきれいで目を愉しませてくれます。

親子水入らずとあって

「楽しいなぁ~、おい、何でも好きなもの飲めよ!

いい気分だなぁ~、わっはっは♪」

上機嫌の両親を見ているだけで私達も嬉しくなり、

姉と顔を見合わせて、にんまり。

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じつは白状すると・・・・ここ「八ツ三館」は

私がお手本として憧れ、目指してきたお店。

艶光りする上がり框(かまち)、柱、急こう配な階段、

大きな柱時計、囲炉裏、時代箪笥、火鉢・・・・・・・。

勿論、160年の歴史ある家屋を真似る事は到底叶いませんが、

心落ち着くレトロな灯りや、

館内至る所にさりげなく置かれた古布を使った小物や活け花、

ほのかに漂うお香の香り、談話室の古本等・・・・・・

何もかもがお気に入りなのです。



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そして特筆すべきは仲居さんや女将さん達の接客の素晴らしさ。

(今回は食事の際、大女将が挨拶に来て下さいました)

「最近私も膝が曲がらなくなっちゃって・・・・・」そう話しながら

カメラで家族写真を撮って下さいました。

(翌朝の食事の折、膳の脇に置かれています。

 

随処に細やかな気配りが感じられる一方、

この宿の着かず離れずの、いい意味で〝放っておかれる感〝が

私は至極心地いいのです。

 

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宿を後にする際、寒い中にもかかわらず、

大女将自ら私達の姿が見えなくなるまで見送って下さいました。

風は冷たいけれど、心はポッカポカです

 

こんな風にお気に入りの宿に時折足を運ぶのは

癒しと安らぎを求めるだけでは無く、

気持ちを新たにし、初心を思い出す〝原点回帰〝の為でもあります。

 

親孝行のつもりで両親を誘った姉と私でしたが、

結局、母がササッと支払いを済ませておりました。(^^

「お父しゃ~ん、お母しゃ~ん、ありがとぉおおお」

ペコリと頭を下げる調子のいい姉と私でした。

 

飛騨古川「八ツ三館」HPはこちら

http://www.823kan.com/

 

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2016年7月28日 (木)

まったり旅行③旧友再会

中学3年だった主人が

「国立沼津工業高等専門学校」へ受験を決めたのは、

家から離れたかったからだそうです。

(父親と折り合いが悪かった、商売(魚政亭)が嫌いだった)

 

当初、幼い頃からの夢・・・・パイロットを目指して

山梨か東京の航空高専への受験を考えたそうですが、

幼少の頃、祖父の結核に感染した後遺症で片方の視力が極端に悪く、

〝こんな目でパイロットは無理だ・・・・・〝と、諦めたそうです。

 

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「それならば!」と日本地図を広げ、

「どこか風光明媚なところへ行きたいなぁ・・・・・・おっ、ここは良さそうだ」

選んだのは富士山を仰ぎ見ることの出来る沼津の地。

 

色々あって・・・・残念ながら志半ば(4年生の途中)で

中退という選択をしてしまったゆえに

当然、卒業生名簿に記載されず(配布もされず)、

友人とも疎遠なまんま・・・・・半世紀近くが過ぎました。

 

語れば長くなるので省略しますが、

ある事がキッカケで、4年前より旧友の皆さんとの連絡が可能になり、

メールや年賀状のやり取り等が再開しました。

 

幾人かの同級生の皆様は私のブログを時々見て下さっているようで・・・・・・・(^^

今回、バスケットボール部で共に汗を流したYさんが

「案内しますよ」と、連絡を下さったのです!

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ゆっくり眠れた(特に主人は)「環翠楼」。

朝、豪華な朝食を頂いてから御礼を告げ、宿を後にしました。

余談ですが・・・帰宅後、偶然見たTV番組で

「環翠楼」という名前は伊藤博文公が付けたのだと知りました。

 

 

しばし歩いて「強羅駅」から箱根ロープウェイに乗車。

Yさんとの集合・・・・・いや、対面場所「早雲山駅」へ。

晴れていたら、素晴らしい展望が開けるらしいのですが、

本日は残念ながら曇空。

 

 

乗車後、あっと言う間に「早雲山駅」到着。

やがて・・・・

「あっ!いたいた、山口だ!」(スミマセン、お名前公開します)m(__)m

小走りで改札を通り抜け、互いにガッチリとハグ!

しばらくはそのまんま、肩を組みながら歩いていましたよ。(笑)

私は傍らで見ていただけですが、とても感動しました。

挨拶をしたのですが・・・・・何と言ったのか?思い出せません。(^_^;)

 

山口さんから

「是非、遊覧船に乗って下さい。私は車で箱根町港へ行って待っています」

そう勧められ、思いがけず数十年ぶりに遊覧船へ・・・・・・・

思いっきり子供ウケしそうな海賊船ですが、まだ夏休み前とあって

大人(外国人)が多い感じです。

芦ノ湖をゆっくりと進む船からは

箱根の山並みをグルリと見渡すコトが出来ました。



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山口さんはサプライズで

主人を母校へ案内しようと計画して下さっていたのですが、

昨日訪ねてきた旨を伝え、お天気もイマイチとあって

ドライブしながらお喋りをするような感じになりました。

 

半世紀ぶりに再会を果たした二人の会話は、

現在の自分たちの話題から始まり、やがてドンドン過去へと遡り

寮での生活や授業のコト、青春をささげたバスケット部の事etc.・・・・・・

・・・・・・・・長年の空白を埋めるかのように止めどなく続きました。

 

山口さんは

〝何故?浅地が学校を去ったのか?〝不思議だったようで、

主人は当時の学校の対応(休学願いを認めなかった)コト等を話し、

互いの疑問点も埋まっていきました。

 

〝大出世した山口さん〝(主人談)も

仕事やOB会のお世話等で大変ご苦労をされたという事も知りました。

長い人生・・・・・互いに色々あったのですね。

 

絡んだ糸がゆっくりととき解れていくような・・・・・心地いい空気を近くで感じながら、

まるで私まで高専生になったような気持ちになりました。

 

「東海に聳(そび)えて名あり~、ゆるぎなき富士の高嶺よ・・・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

主人が時々校歌を歌うので、私もワンフレーズ覚えてしまったのですよ。(笑)
(自身の母校の校歌は忘れたのに!)(^^

 

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主人は四期生ですが、一期生の入試倍率は約19倍、二期生は13倍!
先輩、同級生共に勉強が出来るばかりではなく、
頼りがいがあり、愉快で個性的・・・・そして爽やかだったそうです。

 

昔の青春映画に出てくるような蛮カラ風の先輩や

(高下駄を履いて闊歩(かっぽ)するイメージ)

小説を書いたり、絵を描いたり、学校祭では女装してみたり、

好きなレコードを持ち込んで鑑賞会を開いてみたり・・・・・・

 

の学校で問題になっているような、

いじめや校内暴力等は微塵も無かったそうです。

 

 

山口さんと会話をする中で、当時を彷彿させる話を主人が思い出してくれました。

上級生の卒業式の後、

「明峰寮」の伝言板にサラサラッと短歌が書かれていたそうです。

 

桜の花 散り散りにしも 別れゆく 遠き一人と 君もなりなん


 

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先輩の誰かが思いつくままに心情を綴ったのでしょう。

まだ17歳だった〝若かりし浅地青年〝の心に、

様々な想いと共に深く刻まれました。

 

私も春風に舞う桜の中、学生帽を被り、

颯爽と母校を後にする先輩の様が浮んできましたよ。

 

 

あっと言う間に時が過ぎました。

時間が経つにつれ、最初の「山口さん」の呼びかけが

途中から「ヤマグチ!」になっていきましたね。(笑)

 

同じ時、同じ場所で寝起きを共にし・・・・・学び、

バスケット部で汗を流した旧友同士には

50年という歳月も〝再びの友情〝に何ら問題は無かったようです。

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別れ際、

「今度は近いうちに是非富山へ来て下さい。待ってますよ!」

ガッチリ手を握り合いました。

 

今回の旅は一生忘れられない素晴らしい数日間でした。

山口さんの優しい気遣い、心に沁みました。

ご馳走して下さった「うな重」は今までの人生で一番美味しかった!

お忙しい中、本当にありがとうございました。

心より感謝申し上げます。


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4年前の再会のブログはこちら

http://uomasatei.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-8719.html

 

 

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2016年7月23日 (土)

まったり旅行②箱根強羅「環翠楼」

横浜では予算内の宿はとれず、静岡まで走り宿泊しました。

 

2日目、朝食を食べてから「沼津御用邸記念公園」へ。

元々は天皇や皇族の別荘であった建物。

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決して華美では無いけれど、部屋の壁やカーテン・照明に至るまで

シンプルな中にも品格が感じられる。さすがは皇室の別荘!

「うーん、ここでひと夏を過ごしてみたいなぁ~!」

(今回の旅行で一番のお気に入りかもしれません)

 

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨夜、横浜の夜は楽しかった・・・・・・・が、

波の音を聴きながら、海風に吹かれながら、

ゆっくりと歩くひと時

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

落ち着く。

「やはり、私はお洒落な都会よりも自然が好きなんだなぁ・・・・・・」と、

しみじみ実感します。

 

 

さてさて、当夜は旅の一番の目的、

箱根強羅「環翠楼」へ宿泊してきたのですが、

今回の旅は、もうひとつ大きなサプライズが待っています。

 

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じつは主人はここ沼津の「国立沼津工業高等専門学校」、通称「沼津高専」が母校。

今回、旅行の事を知った旧友のYさんが、思いがけず連絡を下さり、

明日、約50年ぶりの再会を果たすコトになっているのです!

まあ・・・・その報告は次回として

まずはYさんお薦めの「箱根美術館」へ。

 

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箱根には○○美術館と称したものが実に沢山ありますが、

中でも箱根美術館は最も歴史ある美術館とのコトです。

 

展示してある古い焼き物にあまり興味は湧きませんでしたが、

素晴らしく美しい庭は観る価値が十分にありました。

広大な庭園は「苔庭」「萩の道」「竹庭」などがあり、

それはそれはキレイに手入れされています。

「さぞ紅葉の時はキレイでしょうね~」・・・・・と、尋ねたら

「秋は人でゴチャゴチャです」と言われました。(^_^;)

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さあ!それでは「環翠楼」へ・・・・・

此処はかつて三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の三男、

岩崎康弥が所有していた別荘。

昭和24年に塔ノ沢環翠楼社長、鈴木二六が買い取り旅館として開業。

岩崎弥太郎ゆかりの宿!あの幕末の!龍馬とも縁のあった!

 

箱根は急坂、細い道が多く、いささか迷いましたが何とか到着。(^_^;)

到着するやいなや、宿の方が笑顔で出迎えて下さいました。

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宿帳を記入後、「こちらです」と通されたお部屋は・・・・・・、
庭園(華清園)に180度囲まれた
本間12帖、次の間10帖、源泉かけ流しの温泉付きの
二人ではもったいない程のお部屋!

(何でもこの部屋は宿のポスターの撮影にも使用されたらしい)(@_@)

網戸から爽やかな風がスーッと入ってきて、汗が引いてゆきます。

あー、やはり和風が落ち着きます。

 

早速浴衣に着替えて少し離れた露天風呂へ。

居合わせた親子と話をしながらゆったりと浸る。

驚くコトにカサカサの肌がゆで卵のようにつるつるしてきます!

よほど泉質がいいのでしょう。

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最近では珍しく、食事は朝夕全て〝部屋出し〝して下さり、

落ち着いたひと時を過ごすコトが出来ました。

 

 

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笑い話をひとつ!

いつもは温泉へ行っても〝カラスの行水〝の主人が

よほど気持ちが良かったのでしょう。

ゆっくり、ゆっくり入っておりました。

・・・・・・・で、お愉しみのお食事タイム。

主人は私にお付き合いしてコップ1杯のビールをグイッ!

元来〝下戸〝の主人・・・・・温泉に入ったコトで血管が拡張していたのでしょう。

あっと言う間に酔いがまわったようで・・・・・・

今、会話をしながら夕食を食べていたのに・・・・・・

下を向いた私が顔を上げた瞬間・・・・・・まんまの姿勢で爆睡しているのです!

「うわっ、のび太並み5秒や!」

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約3分後、

「ゲウホッ、ゲフォ!グエ~ッ!!!あ゛~~、ぐるち゛かったぁ~~

(口の中に食べ物が入ったまま意識が飛んだ為、器官に入りそうになったらしい)

・・・・・・・・あれ?俺、寝かかってた?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

工工エエ━━(((-( ( (゚´Д`;) ) )-))) ━━ !!!!!

勿論、私は大爆笑しました。

 

 

さあ、明日、主人は旧友と感動の再会です。

③旧友再会へ

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2016年7月20日 (水)

まったり旅行① 鎌倉~横浜

先日、主人と二人

鎌倉~箱根~横浜へと旅行へ行って参りました。

 

元々は知人からペア宿泊券を戴いたコトが発端なのですが、

数ある温泉宿の中から選んだ、箱根強羅「環翠楼」は

素晴らしい庭を持つ由緒ある温泉宿。

以前から〝行けるものならば行って見たい〝と思っていました。

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結局、戴いた券を利用するにあたり

その数倍の費用をパーッと使う羽目になってしまいましたが、(^^

久しぶりの夫婦水入らずの旅行はとても楽しいものでした。

 

「エッ、車で行くが?マジ?」と息子に驚かれましたが、

好きな時に、好きな場所へ行くコトの出来る車以外の移動手段は考えられず、

高速道路の深夜割引を利用して夜に出発しました。

 

ギリギリまで仕事をしていたので殆どリサーチはしていませんでしたが、

まずは「鎌倉」へと車を走らせました。

 

予想通り、夜中は交通量も少なく、

富山から41号線を一路松本方面へ、塩尻北から長野自動車道に上がり

中央自動車道~圏央道を走り、4時過ぎに「厚木SA」到着。

(しばし仮眠)

 

期待していた富士山は先っちょがシルエットで認識できる程度でしたが、

当初の予報と異なって青空が広がり、

道路案内等に、江の島、湘南、茅ケ崎、逗子等など、

サザンの歌によく出てくる地名を見つけては

「おー、来たんだなぁ~♪」と、心が躍りました。

主人の一夜漬けリサーチで

「長谷寺」~「鶴岡八幡宮」~小町通り~「浄智寺」~「報国時」を観光。

 

沢山の石仏の「長谷寺」、

高台からは相模湾が一望出来、遠くに由比ヶ浜が見える

(義経と静御前の子が沈められた海ですね・・・・・ナムナム)

「鶴岡八幡宮」別称(鎌倉八幡宮)は言わずと知れた鎌倉武士の守護神。

鎌倉初代将軍、源頼朝ゆかりの神社として知られています。

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鎌倉は神社仏閣が沢山ありますが、ゆえに昔ながらの通りも多く、

猛暑の中、汗だくになりながらスマホのナビを頼りに散々歩き回りましたが

目指す「極楽寺」は見つからず、〝極楽どころか地獄〝だったり・・・・・。(^_^;)

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けれども住んでいる皆さんは誰もが明るく親切で、

先々での一期一会の他愛もないお喋りは楽しいものでした。

 

てっきり鎌倉のどこかで宿をとるのだとばかり思っていましたが、

主人の「横浜へ行こう!」(エッ?横浜は明後日じゃなかったっけ?)

との思いつきに急きょ「横浜」へ。

(後々この選択は当たりでした)

 

私は約30年ぶりの横浜です。

以前も〝異国情緒漂う洒落た街〝という印象でしたが、

街中がさらに整備され、近未来都市に来たようでした。

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大さん橋から見える、みなとみらいの街並み・・・・
観覧車、立ち並ぶ高層ビル、幻想的な赤レンガ倉庫、

グルリと横浜港を一望できる景色は外国へタイムスリップしているかのよう・・・・・・・。

刻々と迫る夕暮れは〝横浜〝という大きな舞台のショーのように

多くの人々の目を釘付けにしていました。

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いつまでも見飽きない摩天楼ですが・・・・・・・反面、
南海トラフ、大津波、富士山の噴火等など、
近年、自然災害が懸念されています。

「この美しい眺めが100年、200年後にはどうなっているのだろう?」

殆ど天災の無い富山に住む私には、目の前の景色が少し儚く思え・・・・・・、

〝どうぞ恐ろしい事が起こりませんように・・・・〝と心の中で祈りました。

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・・・・で・す・が!

 折角夜の横浜に来たのだから愉しまない方はありません!

 中華街を散策後、老舗のジャズバー「BarBarBar」で

 まったりジャズを聴いてきました!

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ここは「あぶデカ」の撮影にも使用されたそうです。

 近くにある横浜スタジアムからは野球の声援も聞こえてきます。

 うーん、都会だぁ~。

 

次回は今回の旅の目的、「箱根」②へ。

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2015年1月13日 (火)

ひみ「番屋街」

今日は珍しく1日まるまる予定が無かったので、

実家の両親を誘って氷見の番屋街へ行って来ました。

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父は昨年末、〝帯状疱疹〝を発症。

(これがなかなかに痛かったらしい・・・・・)((+_+))

年齢のわりに元気な父(御年満82歳)ですが、

寄る年波・・・・・でしょうか?

今は随分良くなったのですが、いま一つ完治しないようです。

「温めるのが良い」とのコトなので、ゆったりと湯に浸ってくるコトに・・・・・・。

 

じつは何を隠そう私も最近、急に膝痛・腰痛が悪化。

お決まりの河川敷が雪で覆われてから、

ウォーキングをお休みしていたらテキメンです!

加えてお正月の暴飲暴食で人生最重体重を更新!\(o)/!

今更ながら「運動」の大切さを実感しています。

 

番屋街へは何度も来ているのですが、

隣接する「氷見温泉郷 総湯」は初めて!

今日はひさしぶりに風にないほっこりとしたお天気で、

遠くに立山連邦もうっすらと見えました。

 

温泉は源泉掛け流しの天然温泉。

泉質は塩化物強塩泉で、血液循環を促進させるほか、

痛みをやわらげる鎮静効果があるそうです。

なるほど・・・・・湯に触れた手でつい顔をさわったら

目がしょっぱいよ~。ヽ(≧∀≦)

 

内湯は約40℃と、低めの温度ですが

母と話をしながらどれだけでも浸かっていられる心地よさ

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お昼は知人(友人)のH君おススメの

魚のレストラン「番屋亭」さんで、

それぞれ新鮮なお魚を使った昼食を頂きました。

 

日本人っていいなぁ♪

温泉&お刺身最高です。

今日は運転手なので生ビールが飲めなくて残念ですが、

肩のコリもほぐれて、ほっこり癒されました。

両親も喜んでくれたので良かった。

また来ようっと♪

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2014年8月 3日 (日)

上高地

今、当店は1年中で一番暇な・・・・・いえ、のんびりした季節。

・・・・・・な・の・で、

以前からやりたかったコト、

例えば・・・・・行きたかった場所へ出掛ける、

会いたかった友人に会う、

読みたかった本を読むetc.・・・・・等々

〝人生の充電期間〝と捉え、割り切って目いっぱい愉しんでおります。

 

両親を温泉へ連れて行ったのも計画のひとつ。

続いて・・・・・・前回のブログの最後に記載しましたが、

自然(特に山)が大好きな娘に〝上高地〝の絶景を見せに行って来ました。


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仕事柄、殆どお休みが平日の娘ですが、

大きな混雑に合わずに済むので出掛けるには返って好都合。(笑)

 

〝明日は休日〝という娘が帰った27日夜、
車に布団を詰め込み、

早朝に「上高地」へ到着するべく深夜0時半、家を出発!

思いがけず主人も一緒に来てくれるというのでホッ・・・・・・・。

(娘と二人の長距離は少し不安でした)

 

走るコト・・・・・神岡あたりでドシャ降りの雨!((+_+))

「嘘やろ~!(~_~;)」と、主人。

う~む・・・・・・・が、

事前に調べた「晴れ」予報を信じるしかない。

3時半頃、新穂高ロープウエイの第二駐車場へ到着後、

狭い車内でひしめきながら仮眠。

(娘はずっと爆睡)(*^_^*)

 

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4時半過ぎ、だんだん夜が明けてくると・・・・・・、

「おーっ!見える、見える!」

徐々に灰色の雲のベールが消え、

垂直に切り立った岩肌が朝の光に姿を現しました。

 

モー、こうなったら寝てはいられません!

上高地行きのシャトルバスが出発する〝あかんだな駐車場〝へGO!

 

夏休みに入ったせいか?平日の早朝とは言え、ターミナルはなかなかの賑わい。

バスは20分程で到着。

 

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そして・・・・・・娘の神通力が届いたのか?上高地は雲一つない晴天!

「うわぁー」と言ったきり、しばし声を発する事を忘れる娘。

美しい大自然の前には〝何も言えねー〝(笑)

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河童橋を渡り、少し上流へ歩き、

梓川のほとりに下りて持参したおにぎりをほおばる。

その美味しいことと言ったら!

 

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山は季節やお天気で様々な表情を見せてくれます。

今日の穂高連峰は私達を大きな懐に抱え込んでくれるように、

とても穏やかな表情を見せてくれました。

「清々しい」という言葉そのものでした。

 

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川のほとりで仮眠している主人を残し、

娘と二人、大正池までトレッキング。

 

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「熊、出没注意」の立て看板にビビりましたが、

音楽をかけ、大声でお喋りしながら歩きました。

気持ちよかったー♪

 

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上高地を後にし、高山へ。

リサーチしておいたお店で〝飛騨牛ハンバーグ〝を堪能。

 

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古い町並みを歩いた後、帰り道、古川へ立ち寄り

「四十八滝」を散策。

瀬戸川に鯉が泳ぐ「白壁土蔵街」をチラッと見て、

温泉に浸かって帰路に着きました。

濃い一日でした。

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