日記・コラム・つぶやき

2025年4月27日 (日)

母、父のもとへ・・・

備忘録(長文です)
4月15日未明に母が逝きました。(満90歳)
父が逝ってから、まだ三ケ月も経っていないのに・・・。
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約5年程前から、老化による体調不良から徐々に運動機能が低下。
3年前からほぼ寝たきりになりました。
次第に意思疎通も出来なくなりましたが、
時々問いかけに反応したので判る時もあったと思います。
母の家系は心臓が弱く(多分遺伝性心臓病。母の姉は30半ばで心臓発作で早逝)
母は心臓は勿論、生まれつき背骨が湾曲しており耳は片方聞こえませんでした。
それでも負けず嫌いの気質、持ち前の明るさから何事も一生懸命にこなし、
几帳面な性格で片付けや掃除が上手。家計簿を毎日欠かさずつけていました。
  
共に大勢の兄弟姉妹の家に生まれ、親から援助など一切受けられない中、
共働きで家を建て、姉と私を育ててくれました。
何処にそんな時間があったのか?編み物が得意で、
沢山ベストや手提げを編んでくれました。
学校の先生から「まあ、素敵💓お母さんの手作り?」と言われ
嬉しかったのを覚えています。
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若い頃は「村1番の美人」と言われたそうです。(自称)
NTTの前身となる電電公社で電話交換手として勤務。
市内全ての電話番号を記憶する事を要求されたそうで、
(その時の鍛錬の賜物か?)母の記憶力は目を見張るものがありました。
直近の事を覚えているのは当たり前。
「○年前の○月○日に○○さんと何処そこへ旅行へ行った」など
平気でサラリと話し、いつも皆んなを驚かせました。
毎年忙しさからスッカリ忘れている私達の結婚記念日には、
必ずケーキを持ってお祝いに来てくれました。
長男誕生後は、忙しい私の代わりに母親代わりとして大活躍。
早朝長男を実家へ預けに行くと、母は決まって長男を背中におぶって
「煙を見に行くよ〜♫」と、裏手の山へ続く階段
(そこから市内が見渡せて煙突の煙が見える)を上がってゆき、
その隙に私は急いで帰宅するのが定番でした。
(私が帰る姿を見せると長男が泣くので)
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一方、母は私達が子供の頃から常に父親ファースト。
それは死ぬまで変わりませんでした。
常に「お父さん、お父さん」。
孫が生まれてからは「ジージー」と呼びながら、
いつも父のベルトや服の裾を掴んで歩いていました。
娘の目から見てもスーパースペシャル仲良し夫婦でした。
父は分家なのでお墓がありません。
今、姉夫婦はどうするか思案中です、、、、
そんな訳で父の遺骨はまだ実家にあります。
ゆえに現在、遺骨が仲良く2つ並ぶという稀に見る珍しい光景となっております。
今後二人は納骨も法事も(1周忌、3回忌、7回忌、、、)
永遠にずっと一緒です。なんてエコな夫婦でしょう。(笑)
しかし、、、、介護度マックス5の母と父を在宅で介護し
看取る現実は、並大抵な事ではありませんでした。
勿論私も出来る限りのサポートはしましたが、
多くは姉夫婦の献身的な介護のおかげです。 
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多くの人が病院や施設で最後を迎える中、本当に幸せな夫婦、
幸せな人生だったと思います。
母は苦しみから開放され、この世に何の未練も無く、
軽い身体になって浄土へと旅立ち、今頃は父との再会を喜んでいるでしょう。
私と姉はきっと母の方が早く逝くだろう・・・と予想していました。
しかし、母は頑張りました!
多分・・・・見た目とは裏腹に寂しがり屋だった父を心配し
「ジジを見送ってから」と頑張っていたのだと思います。
晴れ女の母は通夜葬儀共に良い天気でした。
そして、奇跡的に我が家に予約が入っていない2日間でした。
段取りの良い母の配慮のような気がしています。 
年明け早々から父〜母を相次いで見送り寂しさはありますが、
姉と「最後の厳しい子育てが終わったね」と、安堵しているのも事実です。
今後は両親を手本に夫を支え、悔いの無い人生を送れるように精進してゆきます。
追記①
(娘から聞いた事)
母を自宅から出棺する際、娘が父の遺骨をそっと撫でながら
「ジジ、お留守番お願いね」と声を掛けると・・・・
何処からかオルゴールが1音だけ「ポロン」と鳴ったそうです。
娘は目を丸くしてオルゴールを探しましたが、
何処にあるのか分からなかったそうです。
不思議です。でも・・・きっとイタズラ好きな父が返事をしてくれたのだと思います。
今も近くにいてくれるんだな・・・・。
悲しいはずなのに何だかほっこりした気分になりました。
追記②
FB投稿にあたり、両親の写真を探していたら
(PC、携帯は撮り溜めた写真でグチャグチャ)
そんな中から最高の1枚を見つけました。
母が父のベルトを掴んで歩いている。
そうそう、いつもこんな感じだったな・・・・。
ふと、何処へ行った時の写真かな?と調べてみたら・・・
うわぁ、まさかの白骨温泉‼️これも悪戯好きな父の仕業?(笑)

 

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2025年3月 4日 (火)

糠漬けはじめました

最近、以前から興味があった糠床を使った漬物作りを始めました。
糠漬けには腸内環境を整えてくれる酪酸菌が豊富に含まれており、
とても健康に良いそうです。
胡瓜、ウド、人参etc、、、漬け込んでおくと数時間で食べられます。
毎日欠かさず、素手で糠床をコネコネかき混ぜるのが日課です。
楽しいです💕 
手にはたくさんの乳酸菌が付いており、だんだん私のオリジナル糠床になるみたいです。


「そろそろいいかな?美味しくなった?」
糠床くん
「うん、良い塩梅だよ」

笑えますが、心の中で糠床や野菜に語りかけると答えてくれる様な気がします。

お客様に提供するのはもう少し先になりますが・・・
何か新しいメニューが出来ないか?思案中です!

Nuka

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2025年2月14日 (金)

父、天へ召される

備忘録(長文です)

1月23日午前10時48分に実家の父が逝去しました。
昨日、初七日でした。

昨年末から徐々に起き上がる事が出来なくなり、
1月半ばを過ぎた辺りから痰が絡み水分も摂れなくなっていました。
連日点滴していましたが、口から栄養を摂れないので更にガタッと痩せて・・・
頻繁に水を欲しがり、その都度小さな氷をあげていました・・・・
しかし解けた水もむせて出していました。
日に日に目を閉じている時間が多くなりましたが、
声を掛けると笑顔やピースサインを見せてくれました。

亡くなる朝、普通に目を覚まし、声は出ないけど口は「おはよう」と動いたそうです。
10時過ぎから容態が急変し姉夫婦が見ている前で息を引き取りました。
私が駆けつけた時、まだ温かくて・・・ありがとうと言いながら身体中を撫でてきました。
それから夫2人、通夜〜葬儀の段取りでバタバタ時間が過ぎました。

看護師資格を持つ姉から「多分そう遠くない」と言われてから(夫には悪かったけれど)
予約をキャンセルして毎日午後には父の傍らにいました。
我が家の話をしたり、一緒に相撲を見たり・・・・
姉と私の会話をニコニコしながら聞いていました。
声が出づらくて会話は出来なかったけれど、筆談やジェスチャーで意思疎通出来ました。
帰り際、頬ずりして「また明日くるね。大好きやよ」と言うと
毎回優しく頭を撫でてくれました。亡くなる前夜もそうでした。

62歳まで娘でいさせてもらえて沢山甘えさせてもらいました。
姉も私もやれる事は精一杯やったし、父も精一杯生きた。
蝋燭が自然に燃え尽きるように静かに炎が消えた感じです。
私達は一点の後悔もありません。(多分父も)

父の死の直後、不思議な体験をしました。
障子越しに光が差し込みキラキラ輝いて見えたと思うと同時に、
子供の頃、父の胸に顔を埋めたような安堵感が心の中、
いや身体中いっぱいに溢れ、あたたかなオーラに包まれたのです・・・・
不思議でした。とても幸せでした。
多分、、、父からの最後の「愛」というギフトだと思いました。
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お寺さんの都合と友引のお陰で、通夜〜葬儀まで時間があり、
ゆっくりと過ごす事が叶いました。
冬の北陸には珍しく両日共春のようなお天気で・・・・
父は太陽の様な人だったのでそのせいかな?と勝手に解釈しています。

、、、とは言っても、まだ夢の中の出来事の様にも思えます。
食べたり笑ったり普通に出来るのですが、
時折不意に父の懐かしさがウワッと込み上げてきて泣きそうになります。
そんな時、娘が背中を撫でてくれます。

遺骨は49日まで私が預かる事になりました。
生前の父の意向で我が家の近所の住職にお経を依頼したので(徒歩1分)
我が家の御先祖様に
「しばらく父がお世話になります。宜しくお願い致します」と手を合わせました。
私の身体の中には父の遺伝子がある訳だし、これからは心の中の父と話そうと思います。

葬儀を終え帰宅する道中、太陽がロウソクのように柱状の光を放ちました。
サンピラーというのだそうです。
隣に乗っていた娘が「ジジ、無事に天国へ着いたよって言う合図だよ」と言いました。
きっとそうだと思いました。

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★追記
釈 幸浄
父の法名です。
法名は通常死後、※おかみそりののち、住職から授けて戴く仏になってからの名前ですが・・・
生前父から「自分が死んだら法名はコレにしたい」と言われていました。😅
亡くなった時、住職から「法名はもっておられますか?」と問われ、
とっさに「以前父から聞いたのがあります」と携帯にメモしたのを見せたら・・・・
住職「これ、もしかして自分で決められた?」
「・・・・💧」言葉に詰まる私💧
住職「大丈夫やよ。おかみそりをされたかどうかを知りたかっただけやから(笑)」
私・・・・汗、汗、汗💦

かくして法名も父の希望のものに決まりました。
写真の父に「全部ジジの望み通りにしたからね!」と話しています。
「ありがとな、わっはっは」の声が聞こえそう。

ちなみに遺影は3年前に姪っ子と夢の平へコスモスを見に行った時のものです。
携帯で撮った写真ですが、私の長男がブラッシュアップして彩度を上げ、
傾きを直し、肩にかかっていた姪っ子と背後の建物をAIの力で消してくれました。

家族全員で総力をあげた父の最後のセレモニーでした。
皆んな頑張りました。
きっと父も褒めてくれると思います。

最後に、、、
病院で終末を迎える人が多い中、
最後まで在宅で父を看取ってくれた姉夫婦を心から尊敬し感謝しています。

※おかみそり=出家し仏の道に入る故人に戒を授けると共に髪を剃る行事。

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2025年1月 6日 (月)

創業99年目を迎えました 


新年あけましておめでとうございます!

大晦日、仕事から帰宅した娘「なんか熱っぽい]・・・・
計ると39.5℃‼️うっひゃ〜!と、速攻自室へ隔離。
元日に救急外来を受診させるとビンゴ‼️(インフルエンザと判明)
しばらくすると今度は長男が「俺も熱っぽい」と言い出し
今度は月あかりへ隔離‼️(こんな時に部屋が沢山あるのは幸いします)
幸い夫と私、お嫁さんに症状は出ませんでした。
しかし、家族が揃っているのにシーンと静かな家はとても寂しい。
そんな中、今朝ベットから起きようとしたら突如腰がピリッ😭
あ〜〜年始から祟られているのか?(泣)

最も高齢の夫は至って元気で暇を持て余し、
旧館2階の古い襖を先日リサイクルショップで即決して買ってきた
市松模様の洒落た襖と入れ替え〜続いて台所の床の傷んだ箇所を修理し始めました。
本当に″貧乏暇なし″を地で行く人です。

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色々と不安な年明けではございますが「魚政亭」は創業99年目を迎えます。
来年はいよいよ100年‼️
最近は自分の身体と相談しながらのお仕事の取り方ですが、
より良いサービス提供の為にもペースを崩さず現状維持を貫こうと思います。

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本年が皆様にとって幸多き1年となりますよう心より祈念申し上げます。

 

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2024年1月18日 (木)

2024年も頑張ります!


元日の悪夢から既に半月が過ぎました。
被災地(車で行ける近場をこう呼ぶのも違和感を感じますが、)
沢山の企業団体、芸能人、アスリートの方々などから
多くの義援金や救援物資が続々と能登に届いている様です。
日本人って何て素晴らしいんだ!とつくづく思います。


輪島に実家があり、地震の翌日悪路を数時間かけて辿り着き、
ご両親や親戚全員を此処へ避難させた友人が近所に住んでいます。
昔、当家で働いて下さっていたという縁もあり、
我が家(主に夫)は、せっせと料理を作って差し入れています。(これも細やかな支援?)


ズタズタになった能登ですが、少しずつ人々は前を向き動き出しています。
また美しい能登半島を取り戻せますようにと、願わずにはいられません。



魚政亭は地震の影響もほぼ無く、通常営業しております。
ただ、当然ながら市場へ行っても能登から入っていた地物の鮮魚が無く、
遠方の魚で用意するのですが・・・・やはり鮮度が落ちます。
仕方がないのですが寂しいです。

大変な状況のではありますが、
精一杯頑張って参ります!



本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

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2023年2月13日 (月)

遅ればせながらご挨拶

早くも2月となりました。
毎年心配な雪も今年はさして積もらず・・・・
時折差し込む日差しと青空に春の訪れを待ちわびています。
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新型コロナウイルス発見から3年、
ようやくサービス業界にも賑わいが戻りつつあります。

しかしながら知り合いには倒産や廃業を余儀なくされた店も多く、
「よくぞ耐えられたものよ」と、夫と話しています。
コロナ禍の中でも足を運んで下さったお客様に心より感謝申し上げます。

しかしながら夫も70歳を過ぎ体力も衰え、以前と同じような仕事はこなせなくなりました。
加えて当初3人いたスタッフも今は1名。
コロナはインフルエンザと同じ扱いになりましたが、
魚政亭では引き続き、各棟、昼夜1日1組様を継続致します。

土日祝祭は予約が重なる事が予想され、お受け出来ないケースもあるかと存じますが、
事情をご理解頂き、ご高配下さいますようお願い申し上げます。

年末から当店のホームページが閲覧出来ない事態が発生しました。
私が年間サーバー使用料金をうっかり延滞したのが原因です。
慌ててメールを送り送金しましたが、全く返答無し・・・・( ノД`)
デザイナーさんと息子の尽力で何とかデータを取り出し再構築し、
新規のサーバー会社と契約。
ようやく閲覧して頂けるようにはなりましたが・・・・
以前のサーバー会社のURLが今も存在し
(連絡が付かないので削除してもらえない)
場合によっては以前のURLに誘導される場合があるようです。
(過去に検索して下さった方は携帯内にキャッシュという履歴のようなものが残っていて、
以前のURL に誘導されるようです)
皆さまには大変ご迷惑をお掛け致しますが、
是非、新しいURLのHPをご覧下さいますようお願い申し上げます。

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2022年8月14日 (日)

ミラクルな出来事②

先日、私がしでかした大失敗〜
しかし、不思議なミラクルパワーに救われた件の追記です。


じつは事件の数日前、
フジテレビ「世界の何だコレ!?ミステリー」という番組への撮影依頼のメールが届きました。
何でも視聴者さんから「当店に座敷童子がいる!」と投稿があったとのコト?

多分、事の発端は今から9年前のブログだと思います。
簡単に言うと、出入り業者のHさんが我が家で座敷童子を見たというものです。

その後、知らず知らずのうちに情報が独り歩きをし、
色々なサイトに掲載されているようです。(;^_^A
しかし、もうかなり前のコト・・・・・
もとあれ「フジテレビからこんなメールが届いたよ!」とHさんに面白半分にLINEしたら、
当の本人は「いや、僕はハッキリ見ました」とキッパリ!
(きっと彼は霊感強いのですね)(^^;

「世界の何だコレ!?ミステリー」。私は見たことはありませんが、
友人は大好きな番組だそうです。
しかし、結論から言うと、私はこの申し出を断りました。

簡単に言うと・・・・

我が家は創業96年の古い家屋ゆえ、多くの命が生まれ閉じていったものと思われます。
ゆえに何かふわふわした守護霊なるものが存在していて、
能力を持った人にだけ見えるのやもしれません。
事実、住んでいて何かに守られていると感じる時はあります。
しかし、わざわざ富山の西の端にある片田舎に、
時間と費用をかけてお見えになられても何かが起こるとは思えません。
全国版のTV番組からお声がけを頂けただけで有難いお話でした。
ありがとうございました!・・・・と。

すると・・・・その後ミラクルが起こったのです。
もし私がご先祖様や座敷童子さんをTVの売り物にしていたら、
きっと・・・いや絶対にミラクルパワーを貸してもらえ無かったと思うのです。
良かった、良かった。
守護霊さん、座敷童子さん、どうぞ安心してお過ごし下さい。(笑)
チャンチャン!

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2022年8月 8日 (月)

ミラクルな出来事①

7月8日、日本中に激震が走った安倍晋三元首相狙撃事件から1か月が経ちました。


じつはこの日は私にとっても大事件(大失態)をやらかし、
一生記憶に残る日となりました。
料理屋の女将としてやってはいけない事で・・・・・
ブログに書こうかどうか?・・・・・散々迷ったのですが、
自分への戒めも含めてアップします!

ー長文ですー

何をしでかしたかと言うと・・・
10名様のご予約がまるっとすっぽ抜けていたのです。
当日は夕方に10名のご予約があり、
準備は万全。滞りなくお食事を提供できるよう準備を進めていた訳ですが・・・・
到着した10名様とは別に、更に続々と来店される10名のお客様???
私の頭は真っ白に・・・・
原因は直ぐに判明。

簡単に言うと、同じ企業内の異なる会から、
同日、同時刻、同人数の予約が入っていたのです!!
掛けてこられた電話番号も同じ!双方の会の幹事さんも、
当店に同会社の別の会が予約していたとは互いに知らなかったらしい。
私は二つのご予約を確認不足からごっちゃにし、一つにしてしまっていたのです!
後で息子から「あんな母さんを初めて見た」と言われましたが、
かなり狼狽していたと思われます。
しかし・・・・・
夫の「やるしかないやろ!」と声にハッと我に返りました。
何はともあれ私のミス!何が何でもやらなければならない!!!
後から見えられたグループの方には一旦応接間にお入り頂き、30分時間を頂く。

結論を先にお話しすると、結果的に2グループに無事にお料理を提供する事が出来ました!
奇跡です!!
後から考えると沢山の信じられないマジカルパワーが働いていた事に驚いています。

☆マジカルパワー続々
①いつもは午後から西陽が照り付け、暑さ半端無い宴会場ですが、
 数日前に直近に使用目的も無いのにサッシの間に断熱材を貼り付けていた私。
 お陰で意外に早くエアコンが効いた!
②数日前「秋頃に利用したいので宴会場を見せて欲しい」と要望があり、
 サッとお掃除してあった。
③何故か?当日の午前中、やらなくてもいいのに、わざわざ
 宴会場のトイレの壊れていた消毒液のケースを修理して付け替えていた私。
④仕入れの鮮魚担当は夫なのですが、馴染みの鮮魚店に大きくて新鮮なバイ貝があり、
 家族で食べてもいいや!と大量に購入し炊いていた私。
⑤だし巻きは私の担当なのですが、これも何故か?
 「娘のお弁当とジジにあげよう」と大目に焼いていた私。
⑥生ビールの樽は1本で足りるだろう、、、が、何故か?酒屋へ注文していた私。
 そしていつも週明けに配達してくれるのに、何故か?当日配達してきた酒屋さん。
(お陰で生ビールが滞りなく提供出来、3樽空になった)
⑦「たまにはジジに旨い刺身でも食べさせてやろう」と、
 こんなに必要無いはずなのに、、、何故か?
 鮮魚や蟹の身抜き等を鮮魚卸問屋さんに多目に注文していた夫。
⑧いつもは残業の多い息子二人が何故か?定時終了。
 お陰で一人は配膳、一人は厨房で盛り付けを手伝わせる事が出来た。
 8時半に帰宅した娘も   ただならぬ事態を察し、すぐに手伝ってくれました。

・・・・と、まあ、私がしでかした大失態は、家族とスタッフのSちゃん、
そして不思議なマジカルパワーのお陰で無事に乗り越え、終える事が出来たのです。

帰り際お客様から「そりゃ、ややっこしいよね。でも美味しかったよ」と
言われて泣きそうになりました。

でも・・・・
やらかしておいて、こんな事を言うとお叱りを受けそうですが、
私は御先祖様や逝ってしまった大切に思っていた方々が
手を伸ばしてくれた気がしてならないのです。
(お仏壇には毎朝、欠かさずお花を供えています)
終わってから息子達に話すと
「そりゃ間違いなく、母さんの後ろに見えない多くの人がついているんだよ」と
言われました。有難いなぁ。

今後、もう二度と同じミスの無きよう、
(いやもう金輪際懲り懲りだ!!)深く深く反省し、改善してゆきたいと思います。

最後に、安倍晋三元総理のご冥福を心よりお祈り申し上げわます。

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2022年5月15日 (日)

連休を終えて・・・・・

コロナ以降、約2年ぶりに料理屋らしいゴールデンウィークを過ごしました。

ご来店下さった皆さま、ありがとうございました。
新緑が眩しいほどに美しい!!
心弾んでお出掛けしたい気持ちになりますね。
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仕事の合間、時折庭を眺めながら珈琲を飲みますが・・・・・
良く見ると我が家の庭もなかなかに美しいではありませんか!!!
 
誇らしげに真っ赤な花を咲かせているキリシマツツジ。
新緑の葉っぱの上に、ちょこんと種を咲かせて?いる紅葉。
そして今年、植えてから10数年ぶりに初めて藤の花が5輪見事に咲きました!(嬉しい!)
花を終えた沈丁花の下では「私ももうすぐ咲きますよ」とばかりに、
ミヤコワスレが蕾を膨らませています。
そんな花々を眺めていると、一生懸命生きなくちゃ!」と、元気が湧いてきます。


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遠いかの地では未だ戦火が続いています。
1分1秒も早く、この大義も正義も無い戦争が終わり、
平和が訪れるように祈っています。

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2022年4月 1日 (金)

鉄骨3階建て外壁工事終了

朝夕はまだまだ寒さを感じますが、

すっかり日が長くなり、確実に季節は「春」になりました。

先日、3月26日、当店から1キロ弱しか離れていない神社から出火。

強風にあおられ、住宅・納屋・車庫など、17棟が焼ける火事が発生しました。

被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

当店も今一度気を引き締め、火の用心に心掛けて参ります。

Ooo

 

3月末、鉄骨三階建ての本館の外壁工事が無事に終了しました。

誰も怪我無く終えられた事に感謝します。

今後しばらくは・・・・(私達が生きている間は絶対!)

強風でトタンが飛んだり、雨漏りの心配は無いと思います。

強風の前に工事が終わって本当に良かったと胸をなでおろしています。

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正面からは全く見えない場所ゆえ、お客様には何の新しみもありませんが、

これからも見えない箇所だからと目を覆わず、

古き佳き大正浪漫の家屋を後世に残す為に頑張ってゆきたいと思います。

 

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